ようぼく子弟 大病乗り越えマウンドへ – 東京の橋本光さん
「病気の子供たちの希望に」との思いを胸に、19歳の高校球児がマウンドへ――。東京都の足立新田高校野球部の橋本光さん(3年・貞鳳分教会長後継者、修さんの次男)は、先ごろ行われた「全国高校野球選手権大会」東東京大会に出場。4年前、「骨髄異形成症候群」を患いながら、厳しい闘病生活を乗り越え、ピッチャーとしてマウンドに立った橋本さんの姿が、新聞や雑誌など各種メディアで大きく取り上げられた。
小学1年で野球を始め、中学時代はクラブチームの主将を務めた。
3年の秋、白血球や血小板などの異常から正常な血液細胞が造られなくなる「骨髄異形成症候群」と診断された。
「もっと野球がしたい――」。そう願った光さんは、父親の修さんと相談のうえ、病気を治してから高校へ進む道を選んだ。
翌年8月、骨髄移植手術を受けた。入院中、強い副作用に苦しむ光さんに修さんがおさづけを取り次ぎ、「必ず元通りになるから、いまは治療に専念しよう」と声をかけ続けた。「父の言葉が励みになった」という光さん。リハビリを経て翌年2月に退院。1年遅れで足立新田高へ進学した。
どんなときも最高の投球を
野球部に入部し、2週間に一度の通院をしながら練習に打ち込んだ。2年の秋に公式戦で初登板。「緊張したが、再び野球ができるうれしさでワクワクした」
3年生で迎えた今大会。闘病生活を振り返り、「どんな体調でも最高の投球をする。自分のプレーが、同じような病気の子供の希望になれば」との思いでマウンドに立った。
中継ぎで登板した初戦は、2回を打者6人で打ち取ると、続く2回戦は先発登板し、チームの勝利に大きく貢献。3回戦も先発したが、接戦の末、惜しくも敗れた。
大会中、多くのメディア取材を受けた。3回戦の翌日、記事を見た同じ病を患う子供の母親からはがきが届き、光さんの雄姿に励まされたことへの感謝の言葉が綴られていた。
光さんは「身上を通じて、人のためにできることがないかと考えられるようになった。これからも感謝の思いを常に持ち、自分にできることを果たしていきたい」と話している。
(日本橋大・大西社友情報提供)