青く澄んだ夏空の下で 真理と向き合う姿勢を – 逸話の季
2025・7/23号を見る
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7月になりました。この時期になるといつも思い出すのは、初めておぢば帰りをしたときの記憶です。もう50年以上前の出来事ですが、頭の先まで鳴り響くセミの声や照りつける厳しい日差しは、当時とあまり変わらないような気がします。乗り慣れない汽車や船に揺られて、はるばる北海道から訪れたおぢばは、まさに「人類のふるさと」だと感じられる場所でした。あの日、幼い私の心と眼に映ったおぢばの光景は、いまもそのまま瞼の裏に焼きついています。
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明治19年夏、松村吉太郎はお屋敷へ帰り、教祖にお目通りさせていただきました。そのとき、自らの学問の素養もあって、当時お屋敷へ寄り集う人々の無学さに軽侮の念を抱いていた松村に、教祖は「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや」と、仰せになりました。このお言葉を承って、松村は心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのでした。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一九〇 この道は」
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明治7年、石上神宮の神職たちとの問答の中で、教祖は「学問に無い、古い九億九万六千年間のこと、世界へ教えたい」と仰せられました。『天理教教典』の第三章「元の理」には、「九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」とあります。「月日のやしろ」である教祖を通して伝えられた真実の教えは、「文字の仕込み」に基づく人間の知識や学問の探究には届かない、人生の問いへの答えなのです。
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たとえば、この世界はなぜ存在し、人は何のために生きているのか、といった問いへの答えは誰もが切実に求めていながら、本当に納得できる答えを得るのは容易ではありません。この逸話の後で、松村吉太郎がおぢばに参詣した際の「おさしづ」には、「何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け」(明治21年1月8日)という印象的なお言葉も残されています。
学ぶべき価値のある知識を求める姿勢は大切ですが、その一方で、信じるに値する真理と向き合う姿勢を忘れないようにしたいものです。
文=岡田正彦