報国と愛国 – 世相の奥
2025・8/13号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
広島の呉には海上自衛隊の基地がある。旧大日本帝国時代には、海軍の軍港がおかれていた。戦艦大和をはじめ、多くの軍艦がここから戦地へ出航していったことは、よく知られる。
なかには、商船を軍事むきに改装した船もあった。たとえば、報国丸と愛国丸がそうである。どちらも、もともと大阪商船の貨客船であった。だが、1941年9月には海軍からとりあげられている。
この2隻には、火砲が設置された。軍事的な能力が付与されている。しかし、その部分はかくされた。ふだんは民間船に見えるよう、擬装がほどこされている。一般の商用船が徴発されたのも、そのためである。軍装をごまかすことが期待されての接収だと言うしかない。
いずれ、対米戦争をはじめるつもりだったからだろう。報国丸と愛国丸には、アメリカの通商破壊という役割がたくされた。民間船のふりをして、敵の物資運搬船へ近づき、不意打ちをくらわす。そうして、米軍の補給路、兵站をたちきることが両艦にはもとめられた。
しかし、乗組員が軍人であれば、この粉飾はすぐばれる。そのため、水兵たちも民間人をよそおった。一般人と同じ衣服を身にまとったのである。
いや、それだけではない。乗組員たちは、呉で婦人服を買っている。和装の呉服を二百着ほどあつらえた。また、それらを船へはこびこんでいる。敵船へ近づくさいには、海軍軍人たちが女をよそおうようはかられた。女もおおぜい乗船している民間船であることを、敵に印象づけようとしたのである。
洋上では、そのための訓練も、くりかえされたらしい。つぎのような号令もかけられたという。「敵船発見、距離一万、非番直員女装用意」、と。
みんな、女装しろ。このかけ声に、多くの軍人は、うきうきしながらしたがったのだという。俺のほうが女らしい。いや、俺のほうがいけている。そんなはりあいも、船上ではくりひろげられた。
大日本帝国の軍隊と聞けば、たいていの人は武骨な硬直ぶりを想像するだろう。喜々として女装につとめる兵士像は、あまり脳裏をよぎるまい。しかし、こういう一面も旧軍にはあった。ところで、第二次大戦へ参戦したほかの国々に、女装作戦の軍隊はあっただろうか。いつか、しらべてくらべたい。
井上章一・国際日本文化研究センター所長