「昭和普請」と「心のふしん」に努め 教祖50年祭 – 教史再彩
86年前の教祖50年祭に参集した教友は、教祖を慕ってにをいがけ・おたすけに歩んだ5年間を胸に勇み立っていた。「八百萬の本教教信徒が五ヶ年間躍進の目標とし、燦然として輝いていた待望の教祖五十年祭大祭典は遂に来た」「みかぐら勤めが開始された。嵐の様に起る大和唱」「(中山正善・二代真柱様の)熱涙共に溢れる感激の(式辞の)言葉に、並びいる三十萬教信徒は只々声を呑んで涙のうちに堅い決心のほどを示した」
(昭和11年1月26日号から)
昭和5年、いわゆる両年祭(教祖50年祭、立教100年祭)の打ち出しがあり、「全人類の更生運動」を合言葉に“形”と“心”の「ふしん」が勇んで進められた。
「形のふしん」では、3年4カ月を要して9年10月に「昭和普請」が完成。教祖殿の新築とともに、神殿改築と南礼拝場の竣工によって、四方正面に拝のできる神殿への第一歩が踏み出された。
一方「心のふしん」では、2年に「おさしづ」が、3年に「おふでさき」が公刊。その内容の徹底を図るために、教義講習会が前後7回開催され、原典を拝する心構えについてのお仕込みがあった。
そして各地の教友は、年祭への帰参を心に定めるとともに、教祖のご期待に応えるために、にをいがけ・おたすけに励んだ。
▼北海道のEさん(19歳女性)は2年前に盲腸炎を患い、2度の大手術を経ても治まらず、医者に見放された。そんななか、布教師のMさんからにをいが掛かって年祭への帰参を心定めした。すると、徐々に快方へ向かい、退院できることに。医者も驚く回復を見せ、喜びを胸に別席を運んでいる。
▼千葉県のOさん(35歳女性)の夫は、毎日酒を飲んで仕事もせず、一家は貧のどん底に泣いていた。その状況を変えようと、宣教所長から団参を勧められたOさん。「おさづけの理を戴いて、将来、人だすけに通る」と決心したところ、夫の言動は治まり、家庭の雰囲気も明るくなった。
▼満州に住む教会長Tさん(60歳男性)。腰の骨を折り、左足が動かなくなったが、激痛をこらえて団参募集に努めていると、息子が父に代わって東奔西走するように。教会として75人の帰参者を得た。Tさんは「親の年祭には死んでも帰る」と、役員に背負われて団参船に乗り込むや、腰の痛みはピタッと止まった。(本紙記事から)
こうしたなか、11年1月に迎えた教祖50年祭。1月26日から2月18日まで、教祖から教えられた通りのかぐらづとめが真座で行われた。鳴物では、三味線、胡弓、小鼓が復活した。
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今月26日の秋季大祭に教祖140年祭へ向けての「諭達」が発布される。約90年前の先人と同じように、教祖を慕ってにをいがけ・おたすけに励み、「心のふしん」に努めて、感激の年祭当日を迎えたい。