自らの可能性を生かし人のために尽くす心 – 綿のおはなしと木綿のこころ 最終回
2026・2/25号を見る
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生きづらさを抱えた方々の「居場所づくり」として綿の栽培を始めたのは、若いころに私自身が苦しんだ経験からでした。
畑にやって来るのは悩みを抱えた方々ばかりではありません。畑では季節の野菜も栽培していますので、綿や農業への純粋な関心から来られる方もいます。見晴らしの良い畑で過ごすひと時は格別のようです。自分が種を蒔いた作物の成長を見守り、収穫して食する体験は、多くの人にとって「いのち」の不思議をあらためて感じる機会となり、畑が居場所となって心が癒やされ、心身のリズムが整い、自分自身を取り戻していかれます。そして、皆さんが圃場の整備をはじめ、綿の栽培や収穫、イベントの際には惜しみない協力をしてくださいます。たすけられているのは、いつも私のほうです。
綿の栽培との出合いもまた、新たな広がりをもたらしました。たまたま新聞で見つけた「綿の収穫体験会」の記事をきっかけに綿と出合い、試行錯誤しながら栽培を続けてきました。今年で18年目になります。収穫した綿花を道端で無人販売し、栽培記録をブログなどで発信するうちに、全国から問い合わせを頂くようになり、見学に来られる方も増えました。
江戸時代に大和国(奈良県)で綿花が特産品であったこと、各農家では栽培した綿花から老若男女が糸を紡いで副業とし、主に女性が機織りをして家族の衣類を自給自足していたことなど、当初は知る由もありませんでした。ただ、周囲の人から尋ねられたことに答えようとして学ぶうちに、綿の歴史と魅力に引き込まれ、自宅で糸を紡ぎ、いまでは機織りにも挑戦するようになりました。綿の栽培と加工についての特別授業や講演を依頼される機会もあり、時には人さまに糸紡ぎの手ほどきをさせていただくようになるとは、夢にも思いませんでした。
「木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』26「麻と絹と木綿の話」)という教祖のお言葉に対する私なりの解釈は、こうした経験がベースになっています。自らの手で綿を栽培し、加工する経験を積むことで、より実感をもってこのお言葉を味わうことができるようになりました。「色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や」(同)というお言葉は、おそらく当時の人々には実体験として深く共感することができたはずです。
また、かつては「綿には捨てるところがない」ともいわれ、収穫が終わって引き抜かれた綿の木は乾燥させると燃えやすく、かまどの焚きつけ材に重宝したそうです。種は搾ると油が採れるだけでなく、搾り粕の綿実油粕は貴重な有機肥料となりました。もちろん繊維は、ふわふわで柔らかく暖かな綿になり、布団になり、糸になり、布になります。
勝手な解釈ですが、「木綿のような心」とは「綿のような心」ともいえるのではないかと思っています。「捨てるところがない」といわれた綿のように、いかなる状態、状況にあってもその時々に自らの可能性を生かし、人々を柔らかく優しく包み、少しでも人のためにできることはないかと心を尽くし、先を楽しみに前を向いて歩んでいこうとする心かもしれない、と。
綿と出合ったことで、教祖をより身近に感じさせていただくことができるようになったと、私自身は感じています。この連載が少しでも皆さまのお役に立てば幸いです。
ありがとうございました。
梅田正之・天理教校本科研究課程講師










