切符などの資料に見る本教の団体輸送の歴史 – 天理参考館「トーク・サンコーカン」
2026・3/18号を見る
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天理参考館(三濱靖和館長)の公開講演会「トーク・サンコーカン」が3月6日、同館研修室で開かれた。今回は、9日に閉幕した第100回企画展「教祖140年祭記念幕末明治の暮らし」の関連イベントとして、「天理教団体輸送の歴史――おぢばがえりと天理臨」をテーマに、乾誠二・学芸員が本教の団体輸送の歴史について詳しく解説した。
同館では、日本における切符収集の草分け的存在として知られ、同館嘱託職員としても務めた山本不二男氏(故人)のコレクションを中心に、充実した交通資料群を収蔵している。
乾学芸員はその中から、乗車券を中心に、絵図や路線図、広告など本教の団参にまつわる資料をスライドに映しながら説明を進めた。
教祖年祭とともに発展
まず、明治24年に執行された教祖5年祭に十数万人の参拝者があり、このとき、汽車会社が参拝者に割引切符を発行して対応したことを紹介し、これがのちの団参切符に発展していくと述べた。
続いて、本教における最初の大規模な団体輸送の事例として、教祖40年祭当時の取り組みを振り返った。
その中で、大正14年に輸送係(現在の輸送部)が設置され、列車を手配するために全国から鉄道管理局の係員約50人を招いて打ち合わせが行われたことを紹介。これは、170もの車両を要する、当時としては日本最大規模の輸送計画であり、国鉄丹波市駅を拡張するなどの対応もなされ、当初の想定である40万人を大きく超える65万人が教祖年祭に帰参したと述べた。
また、奈良鉄道(当時)による桜井線の案内広告の中で、教会本部の場所や大祭、お節会といった教内行事が紹介されていることにふれ、「観光地以外にも、神社仏閣や天理教教会本部のような大勢の輸送客が見込める場所は、鉄道会社にとっても重要な行き先であった。そのため、利用を促すために詳しく紹介していた」と解説した。
この後、当時の鉄道路線が、現在の近鉄線へと整備されていく様子を説明。大正4年、天理教の参拝客を念頭に置いた天理軽便鉄道(天理‐法隆寺間)が開業し、その後、大阪電気軌道(のちの近畿日本鉄道)が軽便鉄道を買収するなどして、現在の形に近づいていったことや、当時の近鉄の主要駅であった上本町駅の駅舎を移築し、天理駅として使用していたことなどを踏まえ、「天理教の参拝客の輸送は、近鉄にとっても重要度が高かった」と話した。
さらに、終戦直後の団体列車の運行に言及。食料や燃料の輸送、また進駐軍による運行管理などの理由から団体列車の運行は困難であったが、教祖50年祭の輸送に携わった国鉄の大阪鉄道管理局職員が声を上げ、昭和24年に団体輸送が復活し、その後、天理教と関係団体との間で輸送会議が開かれるようになり、いまにつながる団体輸送の体制が整っていったと語った。
このほか、同館が所蔵する、弁当券などがセットになった教祖50年祭の乗車券や「おぢばがえりこどもひのきしん」の団体乗車券などを紹介した。
最後に乾学芸員は、こうした団体輸送の発展のもとには、「おぢばに帰りたい」という信者の思いがあったと強調。天理周辺の鉄道や道路といった交通網は、天理教の団参によって整ってきた面があると語った。












