帰参者を迎える早咲きの桜 受け継がれる敬慕の念 – 逸話の季

先日、久しぶりの海外出張へ出かけました。昨夏に急病で入院してから、はじめての長旅です。早朝の出立を意識して、前夜は早々に就寝しました。ところが、午前3時に目が覚めて、もう眠れません。まだ出発までに時間があるので、思いきって本部神殿へ参拝に行きました。ピリッとした冷気の中で参拝していると、気にかかっていた体調の不安が氷解していきます。何かの節目に足を運ぶ場所があるのは、とても幸せなことです。
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明治19年3月中ごろ、入信間もない中西金次郎は初めておぢばへ帰り、教祖にお目通りさせていただきました。教祖はお寝みになっていたのに、お出ましくだされました。また、8月にお目通りしたときには、月日の模様入りのお盃をお下げくださり、9月には夫婦揃うて持参し、お供えした座布団を教祖がお喜びくだされて、金次郎は赤衣を頂戴します
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一八六 結構なものを」
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教祖のもとに繰り返し足を運び、その面影を後世に伝えるこの逸話の行間には、教祖をお慕いする先人の敬慕の念が溢れています。はじめてお目通りした教祖のもとに、再度訪問して絆がより強くなり、さらに座布団を持参して教祖にお喜びいただく。このわずかな期間には、きっと多くの出来事があったことでしょう。先人の残した教祖の逸話は、歴史的な記録であること以上に、さまざまなことを考えさせてくれます。
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六十の坂を越えて自分の人生を振り返るとき、この人生がいつも祈りとともにあったことに、素直に感謝と喜びの気持ちが湧いてきます。また、もう一度おぢばへ帰って教祖にお会いしたい、という先人の方々の想いは時を超えて受け継がれ、現在を生きる私たちにも共有されています。
おぢばへ帰って何が得られるのか、その答えは人によって違うでしょう。しかし、教祖殿に足を運んで畳に手をつき、教祖にごあいさつするときに感じるこの温かい気持ちは、これからも次の世代の人々に継承されて、いつか世界中に伝わっていくはずです。
文=岡田正彦






