第32話 かならず幸せになる – ふたり
かすかに秋の香りがする美しい晩、二人は庭のテーブルでお茶を飲んでいた。日曜日なので、レストランは早めに店じまいをしている。空には最初の星々が輝きはじめていた。銀色の大きな月が、黒々としたヤマモモの上に昇ろうとしている。
「カンは小さいころ、ものにぶつかってばかりいたでしょう」。ハハは遠い思い出を手繰り寄せるような口調で言った。
「歩いても走っても何かにぶつかってしまう。わたしは夜も眠れないほど心配だった」
カンは紅茶のカップを手に持ったまま話を聞いている。かすかに海の匂いがする。それは懐かしいものを運んでくるようだ。
「トトはおばあちゃんっ子だったらしいの。ご両親が忙しくて、おばあちゃんに育てられたのね。幼いトトによくお話をしてくれたんだって。お話のなかにはいろんな子どもが出てくる。朝から晩まで寝てばかりいる子や、ぼんやりして景色ばかり見ている子、お団子ばかり食べている子とかね。いまだとゲームばかりやってる子どもってとこかな」
庭の隅にアジサイが三株ほど植わっている。ハハが丹精しているもので、花の色はそれぞれ違う。水色、赤紫、白……濃い青のアジサイが欲しいと思っているけれど、なかなか見つからないらしい。
「おばあちゃんの話のなかでは、どんな子どもでもかならず最後には幸せになる」。ハハはつづけた。「寝てばかりいる子は、いつかかならず起きるし、劣っているように見える子も、何か思いがけないことにすぐれていたりする。人ってたいてい誰でも、どこかヘンだったり、欠点があったりするものよね。親は自分の子どものことしか知らないから、この子は大丈夫だろうかって心配するけど、おばあちゃんの話のなかでは、いろんな子どもの成長が語られていて、いつかみんなそれぞれの仕方で幸せになれる。この子もきっとそうに違いない。いつか自分にふさわしい幸せを見つけるだろう。だから心配はいらないって、トトは言っていた」
ハハの話のなかから、懐かしい人の姿が浮かび上がってくる。それはトトのようでもあり、トトのおばあちゃんのようでもあった。
「わたしもそんな気になって、この子はきっと大丈夫だ、かならず幸せになれると思った」
先ほどまでわずかに残っていた夕暮れは、青のなかに溶けてしまったようだ。二人のまわりで夜の青が濃さを増しつつあった。
「人の声って、不思議ね」。しばらくしてハハはひとりごとみたいに言った。
「幼いころに聴いたおばあちゃんの声が、大人になったトトのなかに残っていたように、わたしにもトトの声が残っている。いつまでも残りつづけて、心配はいらないって励ましてくれる」
作/片山恭一 画/リン