おやのことば・おやのこころ(2022年12月7日号)
2022年12月7日
おやのことば・おやのこころ 七ッ なか/\このたびいちれつに
「みかぐらうた」九下り目
しつかりしあんをせにやならん
少年会活動に取り組んでいると、子供たちから思わぬ質問を受けることがあります。その内容は、お道や学校に関することなど幅広く、さまざまです。
何か尋ねられるたびに、頭をひねって自分なりに精いっぱいの答えを出すのですが、最近ある中学生から受けた質問は、なかなかの難題でした。
「国語の現代文には、どうして公式がないの?」
その子いわく、数学のように公式があれば、それを元に解けるけれど、公式がないから「なんとなく」文章を読んで、「なんとなく」解答しているとのこと。悩んだ揚げ句、筆者はこんな言葉を絞り出しました。
「文章には書き手がいる。その筆者の思いを汲み取る力をつけることが、この教科の醍醐味だと思うよ。公式がないのは、その力を自分でつけるためだよ。だから、なんとなく読むのではなくて、筆者が何を伝えたいのかを考えながら、何度も読んでみよう」
そう言って、ハッとしました。
「諭達第四号」の発布から1カ月余り。毎日、朝に夕に拝読していますが、その都度、真柱様の思いを心に治める努力を重ねていただろうかと、いま一度、自分自身を顧みたのです。思い浮かんだのが掲出のお歌でした。
「諭達」の拝読を通して、をやの思いがどこにあるのかを上手に思案できる人になりたいものです。年が明ければ三年千日。仕切って、成人の道を歩ませていただきましょう。
(大西)