終戦直後の混乱のなか、たすけ一条へ 教祖60年祭 – 教史再彩
昭和21年に執行された教祖60年祭。終戦直後の食糧難や不十分な交通事情に見舞われるなか、存命の教祖を慕って、大勢のようぼく・信者が帰参した。「晴れの祭典に集う人、人、人、二十六日を目指してどっと押しよせた人の波は絶好の祭典日和に恵まれたおぢばの街々の通りという通りを埋めつくした」
(『天理時報』昭和21年2月3日号から)
終戦を迎えた昭和20年8月15日。国内に混乱が広がるなか、同日付けで「諭達第十五号」が発布され、「神明負荷の任務を自覚して救け一條の実を挙げ」と、おたすけに勇み立つことが呼びかけられた。
10月26日の秋季大祭には、7年ぶりに、かぐら面をつけての本づとめが勤められた。てをどりも、差し止められていたよろづよ八首、三下り目、五下り目を加えて十二下りが復元された。
また、同月29日から31日にかけて「第12回教義講習会」が開かれ、中山正善・二代真柱様から、教祖60年祭と「復元」の立て合った重大な時旬を迎えた全教の心構えについて、2時間にわたって諄々とお仕込みがあった。
さらに、二代真柱様は翌21年の『天理時報』1月1日号で「いよいよ節から芽の出る時であります。(中略)教祖様六十年祭を迎える此陽春、むしやうに出来廻す御守護が頂けるか否かは我々のつとめ一條にかかっているのです。さあお道の皆さん! しっかりかかって下さい」と、全教一手一つの奮起を求められた。
そして迎えた教祖60年祭。1月26日から2月18日まで毎日おつとめが勤められた。
年祭期間の前半は、石炭不足による列車運行の大幅な削減のため、おぢば近郊の帰参者が目立ったが、2月に入って交通事情が少し回復し、遠方からの帰参者が増えた。
帰参者の中には、戦地から未復員の息子の写真と共に参拝する老母や、アメリカ進駐軍の一兵士の姿も。一兵士は、京都駅前で教友に道を尋ねたことが縁となり、その親切な態度に好感を持ち、「見も知らぬ外人にも誠を尽くす天理教の本部を知りたい」と、参拝に至ったという。
また、年祭の記念品として『みかぐらうた』の引換券が下附された(引き換えは10月25日)。
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大阪中央放送局は、1月26日にラジオの実況放送を40分間実施。式典の模様はもとより、教祖伝の概説などを取り上げ、帰参できなかった各地のようぼく・信者に祭典の様子を伝えるとともに、一般聴取者にも本教の概要が紹介された。
写真は『天理時報』「六十年祭日報」2月9日号に掲載されたもの。キャプションには「(教祖を慕っておぢばに集まる)人々は旅の疲れもすっかり忘れて朗らかな笑顔」とある。戦後の混乱のなか、「ふしから芽が出る」を実践した教友の姿である。