人を喜ばしたら神様が喜んでくださる 増井りん(下) – 信心への扉
こんにち、『稿本天理教教祖伝』において、教祖の「ひながた」は明らかにされています。
もう少し具体的に、ということになりますと、教祖に導かれた道の先人の姿をとおして学ばせていただくことができます。
教祖に導かれたこの道の先人は、教祖のお言葉や、みずからの経験を、いきいきと伝えています。その先人の姿をとおして、教祖の「ひながた」は身近になります。
ここでは、前回につづいて、増井りん(1843〜1939年)という先人を取りあげ、その信心をとおして教祖「ひながた」との接点を求めたいとおもいます。
もっと詳しく、この先人に触れたいということになりましたら、『誠真実の道・増井りん――先人の遺した教話(五)』(道友社新書)という素敵な本が道友社から刊行されていますので、そちらをごらんください。
身の内かしもの・かりもの
目にお手引きをいただき、「教の理」を聞き分けて通られたりんは、日々、何からでも楽しんで、いそいそとつとめられました。次に、その心の内を知ることができる言葉をあげてみましょう。
教祖から聞かせていただいたお言葉をいろいろと伝えていますが、その一つに、
「教祖ご在世中から、『貸物借物が肝心じゃ』と仰しゃっていられました」
とあります。この意味は、りんのお話から伺うことができます。
「お互いに私どもは神様の御身の内に住居していて、日夜神様の御自由をいただいているのであります」
「五体は神様よりの借物、すれば自分で勝手に使えるものではございません」
五体、すなわち、私たちのからだは、神様よりの「かりもの」であるといわれ、具体的に、
「腹の底からよく考えてごらん。眼では見せていただく、口で話は出来る、物は食べられる、ああ結構やなあ、ほんにこの自由自在の御守護は、えらいものやなあと、御恩を深く考えねばなりませぬ」
と、神様の自由自在のご守護を説いておられます。そのことと世の中の常識とを対比して、
「それをどうかすると、世の中の人は、我が眼で見ると思い、我が口で物を言うと思うから大した間違い」
と、神様のご恩を知らずに、我が力に頼って生きている世の人々の心得違いを指摘くださっています。
教の理を聞き分けられたそのポイントを、こうして語られるのです。
神様の自由自在のご守護をいただくので、目で物を見ることができ、口で物を言うことができる。金銭や物、環境によって幸福があるのではない。それらを真に生かすのは、神様のご守護があってこそであった。心の眼が開かれるとともに、生き方が大きく変わったのです。
生涯、心のつとめ一筋に
その後、明治26年から15年間、本席様のお守り役をつとめられます。明治31年には本部員同格として別席の取次人、翌年には准本部員、33年には女性で唯一の本部員を拝命されました。
「おさしづ」において神様は、本部員と同等に、ということをたいへん急き込まれています。定めた心を持ち続け、誠の心で一筋に通りきられたりんは、「男女の隔て無い」と諭されるとおり、神様からたいへん可愛がられた先人であったといえるでしょう。
晩年の言葉に、
「私の身も心も、教祖の思惑通りですのや、私がなんぼ考えても私の思い通りになりませんのや」
「私心は少しもありません、仰せ通りに一日一日が楽しみで、勤めさせていただいていますのや」
というものがあります。
自分というものを中心にして、自分のためになることはするけれども、都合のよくないことはしない。これが一般の常識的な考え方です。しかし、この世は神様がお働きくださり、ご守護くださって成り立つ世界です。小さい人間の力では、それだけの働きしかできません。もちろん形のうえでは、自分が努力して働くのです。しかし、思いどおりにはならないといわれるのです。
「私心」を捨てる、すなわち、欲の心を捨ててつとめるところに、神様がお働きくださり、願う以上のご守護をくださる。この真実を、さりげなく伝えられる言葉であるとおもうのです。
教祖は世界一れつをたすけるために、貧のどん底に落ちきって、神様のご守護の世界に生きる「ひながた」をお示しくださいました。我が身、我が家のためにお通りくださったことは一つもなかったということです。
「人を喜ばしたら、神様が喜んでくださるのやで、おやさんがそう仰った」
と、りんは、自分が手にした物は、神様の物であるという思いから、我が物にするのではなく人に与えて、それを喜んで通られました。その態度は、ご用聞きにやってくる魚屋に対しても同じで、毎度かならず魚を求めては喜ばせたということです。
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お出直しの後には、何一つとして形見分けをするような物はなく、ただ日ごろ愛でておられたお人形だけがのこされていたといわれています。
教祖のお心を我が心として、神様が喜んでくださる心のつとめ一筋に通りきられた生涯でした。
文・伊橋幸江 天理教校本科研究課程講師
いはし・ゆきえ。平成2年、天理教校本科卒業。同年から天理教校本科研究室に勤務。天理大学非常勤講師。