第23話 少年カンは「本の虫」- ふたり
作/片山恭一 画/リン
ハハが言うには、カンは「本の虫」なのだそうだ。あの子の興味が、虫から本に移っているのはたしかである。いまはクモやトカゲを観察するかわりに本ばかり読んでいる。ツツの報告によれば、休み時間はほとんど図書室で過ごしているらしい。家に帰ってからも、暇さえあれば本を読んでいる。そのうちカンの頭のなかが図書室になるかもしれない。
「息をするのを忘れているんじゃないかと思うくらい」
「それは重症だ。本を読むのにアクアラングが必要になるかもしれないぞ」
わたしにはトトとハハの気持ちがよくわかった。彼らは感じているのだろう。カンのなかで何かが起こりつつあることを。その変化を不安と期待をもって見守っている。もちろんわたしも感じている。ただそれは、あの子が遠くへ行ってしまうような寂しさだった。
人が喋っているときは一つの言葉を喋っている。それは人間の言葉だ。ところがあの子にとって、言葉は人間だけのものではない。虫や動物や草花や木々が語りかけてくること。風の歌や波の音楽。それらもカンにとっては大切な言葉だ。
生まれたばかりの赤ん坊はきっとみんなそうなのだろう。人間が虫や動物たちの兄弟でありえる、とても短い時間だ。やがて成長して言葉をおぼえ、人間の言葉を喋りだすと、それ以外の言葉は聞き取れなくなる。言葉にかんしていうと、あの子はいまも自然の大きな環のなかにいるのかもしれない。
しかし小学校では、カンは口をきかない風変わりな子どもに見える。たくさんの言葉をもっていることが、外側からは言葉をもってないのと同じに見える。そのために心ない級友たちからからかわれることもあった。守ってくれたのは担任の先生だ。若い男の先生だった。
「誰かが自分と違っているからといって、その人を見下したり、自分のほうが偉いと思ったりしてはいけません。そんなことは許さない。教室ではもちろん、学校のなかでも学校の外でも、先生は絶対に許しません」立派な先生だが、カンのことを本当に理解していたかどうかはわからない。少なくともわたしほどには理解していなかっただろう。
未来を知ることは可能だろうか? どうやらあの子には可能らしい。それもたんに未来を予測するのではなくて、この先に何が起こるか正確にわかってしまうらしいのだ。
わたしが思うに、人間の魂に映し出されるのは現在だけである。しかし動物や植物や石ころなど、すべてを含む自然の魂には、現在だけでなく過去も未来も映し出されている。虫や動物や植物や光や風と気持ちを通い合わせることができるカンには、普通の人とは違った、もっと遥かに大きな魂が備わっているのだろう。
いいことかどうかわからない。知らないほうがいい未来もあるからだ。
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