私たち父子の合言葉 – 懸賞エッセー入選作品
テーマ ひのきしんに生きる
田中一慶 35歳・美濃福富分教会長後継者・岐阜市
生まれ育った教会は山や川、田畑に囲まれた自然豊かな場所にある。地域住民のつながりが強く、農事に関する行事も多い。この土地で先代はにをいがけ・おたすけに奔走し、教会名称のお許しを戴いた。設立から50年。その思いを受け継ぎ、教会長である父と共に、地域に根差した教会を目指して走り回っている。「つとめさせていただきます」
受話器を握る父の声が聞こえてきた。「緑内障」で目が不自由なことから車の運転を控えており、御用には私が同行する。そのおかげで父の信仰姿勢にふれることができ、数多くのことを学んでいる。
その一つが「ようぼくの三信条」と教えられる「ひのきしんの態度」だ。父に同行する中で、ひのきしんの御用をたびたび頂く。道専務で通る者として、これほどうれしいことはない。その際、父からは「何をするのか」「なんのために行くのか」を告げられないことが多い。父の着る服を見て、乗車前に慌てて着替えることもある。
「ここに入って」
ある日、父の道案内で現場に着いた。山のふもとにある土場だった。見知らぬ人が父と談笑し始めた。以前、にをいがけ中に知り合った人のようだ。
「これ、全部よろしいですか」
父が指さす先に、伐採された木が無数にあった。その瞬間、大教会で炊きものをする際の用材として届けるのだと分かった。父と声をかけ合いながら、トラックに積み込む。一日中、汗を流す「親子ひのきしん」だった。
「用水路近くにいるよ」
この日、父は除草作業をしていた。そのとき父の心配りを見た。刈り取った草を、使い終わった分厚い材質の肥袋に入れ、さらに市指定のごみ袋で二重に包んでいく。指定のごみ袋だけでは硬い草の茎が飛び出し、袋が破れてしまう。ごみ収集をする人への配慮も欠かさない「底なしの親切」の心を垣間見た。
父は目の身上のために一人では遠くへ行けない。だから、教会の近くでひのきしんをする。その積み重ねが、たすけの手を地域の方へ差し伸べるきっかけとなり、さまざまな場面で頼りにしてもらえる教会へとつながっていく。父の「ひのきしんの態度」を通じて、「伏せ込む姿勢」「おたすけする姿勢」「地域に尽くす姿勢」の尊さを学んだ。
その背中を懸命に追いかけながら、「こんなとき父だったらどうするだろうか」と考え、同じ道を歩む自分がいることに気づく。実は私も「緑内障」を患っている。「見えなくなるかもしれない」という不安を、父の姿を支えにして乗り越えてきた。「一緒につとめさせていただきます」。これが私たち父子の合言葉。私たちにとって、目の前に広がる道は、親子で歩むご恩報じの道。足元にある幸せを感じながら、今日もひのきしん人生を駆け抜けていく。(要旨)