アフガンの悲劇、ニッポンの危機 – 手嶋龍一のグローバルアイ5
あの未明にかかってきた電話は、いまも鮮明に憶えている。アフガニスタンの首都カブールに多国籍軍が突入しつつあり、あと5分後に生放送を――。ワシントン支局前のホテルで仮眠をとっていた筆者は、とっさにベッドから這い出した。隣室に泊まっていたBBCの支局長の電話もけたたましく鳴っている。同じく緊急の呼び出しを受けたのだろう。9・11同時多発テロ事件の翌10月のことだった。
国際テロ組織とアルカイダを寄生させているならず者国家を区別しない。米国はそう断じてアフガンからイラクへと突き進んでいった。こうして「ブッシュの戦争」は幕をあけた。
そのアフガンから米国はいま撤退を余儀なくされている。テロとの戦いに700兆円あまりを注ぎ込み、7000人の米兵の命が喪われた。この20年の戦いは超大国の完敗に終わった。前線から物言わぬまま帰国した兵士が、アーリントン墓地に埋葬される場面に幾度居合わせたことだろう。星条旗に包まれた棺に寄り添う妻子の顔がいまだに脳裏を去らない。
米国はテロとの戦いで何一つ達成できないまま、アフガンから放逐されつつある。バイデン大統領は、ガニ大統領が早々に祖国を去ったことをあげ、「米国の兵士の命だけを危険に曝すわけにはいかない」と述べ、撤退の方針に誤りはないと釈明する。国内向けのメッセージとしては確かにそうなのだろう。
だが、バイデンの決断は、日本など同盟国との絆に甚大なダメージを与えずにはおかない。戦後の米国は、義を見てせざるは――とばかり、時に過剰なほど他国の紛争に介入した。同盟関係にない国が侵略されても介入をためらわなかった。冷戦の終結直後にイラクが隣国クウェートを冒した時がそうだった。
常の国家なら、国益と兵士の命を天秤にかけて対外政策を決める。だが、戦後世界のリーダーだった米国が新たな孤立主義に傾けば、漁夫の利を得るのは“海洋強国”として周辺の海域と島々を勢力下に収めようと狙う中国だろう。
世界の紛争にはもう関わりたくない――そんな米国の消極姿勢は、直ちに日本列島に及ぶと見ていい。その意味で、アフガンの悲劇は、ニッポンの危機だと心得るべきだろう。
手嶋龍一
外交ジャーナリスト・作家。NHKワシントン支局長として9・11テロ事件の連続中継を担当。代表作に『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』、『外交敗戦』、最新作に『鳴かずのカッコウ』など多数。