おやのことば・おやのこころ(2021年8月29日号)
おまえは、神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』11「神が引き寄せた」
約25年前、豪州ブリスベンに「オセアニア出張所」が開設され、1年ほど経ってから戸別訪問を始めました。
月に数回、住み込み青年・女子青年らと共に、出張所周辺の家々を訪ねます。豪州には明るくおおらかな人が多いせいか、玄関先で、あるいは家の中まで招き入れて、神様の話に耳を傾け、時にはおさづけの取り次ぎを快く受けてくださる方も少なくありません。なかには戸別訪問を通じて、出張所に参拝される方も珍しくないのです。
4年ほど経ったある日、Cさんに、にをいが掛かりました。幼少期に虐待を受け、「おまえは悪い子だ。絶対に良くならない!」と言われ続けて育ったCさんは、常に何かに脅える臆病な性格で、ついには自殺を図るまでに至りました。その状況から逃れようと、さまざまな書物を読んだり、セミナーに参加したりしてきましたが、いつも何かが欠けていると感じていたそうです。
そんななか、戸別訪問で初めて教祖の教えにふれ、出張所の月次祭に参拝。そのとき、これまで経験したことのない心の安らぎを感じたと言います。以来、出張所の夕づとめに毎日参拝するとともに、おぢばへ帰り、別席を運び、おさづけの理を拝戴しました。その後、出張所の月次祭でおつとめ奉仕者を務めるまでに成人し、無くてはならない存在となったのです。
世界にはCさんのように、いんねんあって親神様に引き寄せられた数多くのようぼくが、世界たすけの御用に日夜励んでいます。
(あ)