「日本精神」を忘れない – 日本史コンシェルジュ
10年前の東日本大震災で“世界一の支援”を届けてくれたのは台湾でした。
日本赤十字社が把握しているだけで義援金は250億円を超え、支援物資は400トン以上。台湾の人口は日本の約5分の1ですから、これは破格の支援です。でも驚くのはまだ早い。台湾からは日本赤十字社を通さない支援が何倍もあり、合計は天文学的数字に上るといわれています。
さらに2011年の暮れ、台湾の新聞社が「今年一年、あなたにとって一番の幸せは何でしたか?」というアンケートを取ったところ、台湾の人々が1位に選んだ答えは、「日本への義援金が世界一になったこと」でした。
感激した私は、台湾へ何度も通い、出会った人たちにお礼を伝えてきました。旅の目的は「ありがとう」を伝えること。でも台湾へ行くと、逆に、私は「ありがとう攻め」にあいます。「わざわざ台湾に来てくれてありがとう」「何年も前の支援をいまだに覚えていて感謝してくれるなんて、本当にありがとうね」という具合に……。「なぜ、こんなに感謝してくれるの?」「なぜ、こんなに親切にしてくれるの?」。そんな私の問いに対し、台湾の方々は口をそろえておっしゃいます。「これはね、あなたたち日本人が私たち台湾人に教えてくれたことだよ」
明治28年から昭和20年までの約50年間、台湾は日本の統治下にありました。当時、世界一貧しい土地の一つだった台湾に、日本人はまず学校を造り、教育を浸透させました。警察制度を整えて治安を安定させ、さらに台湾に投資してインフラを整備。その影響で台湾の衛生環境は格段に改善され、農業生産性は飛躍的に向上しました。日本の統治を経て台湾は豊かになったと捉えている人が台湾には多く、その恩返しをしたいとの思いが、あれだけの支援になって表れたのです。
「あなたには日本精神(リップンチェンシン)があるね」とは、台湾での最高の褒め言葉。「勤勉で誠実で責任感があって、自分の仕事に誇りを持っている。さらに自分のことだけでなく皆のことが考えられる、いまのことだけでなく次の世代のことまで考えられる」人を、台湾では「日本精神のある人」と呼ぶのです。
東日本大震災からの復興を旗印に掲げた今夏の東京五輪で、史上最多のメダル数を獲得した日本と台湾。コロナによって分断された世界が再び一つになるためには、五輪精神の原点に立ち返り、国境を超えた、目に見えない心のつながりを取り戻すことが大切であると、日台の選手の活躍が教えてくれたように思います。
白駒妃登美(Shirakoma Hitomi)