“夫婦揃うて”を生涯のテーマに – 修養科の四季
第953期
赤羽直香さん
30歳・札幌市・養寿分教会所属
ようぼく家庭で生まれ育った私は信仰3代目。中学卒業後、地元を離れて7年間おぢばで過ごしましたが、なかなか神様の存在を信じられず、就職後は信仰とは縁遠い生活を送っていました。
そんななか、2年前に結婚し、昨年6月、待望の第一子を授かりました。その後、夫の両親から修養科を勧められ、夫婦で志願しました。
しかし始業式が迫ったある日、私はぎっくり腰を発症。車いすでの生活を余儀なくされ、痛みと不安を抱えたまま修養生活がスタートしました。
成人させたいとの親心
1カ月目の初旬のこと、空き時間に『稿本天理教教祖伝逸話篇』を手に取り、無作為にページをめくりました。すると、そこには「九二 夫婦揃うて」というお話が載っていました。後日、夫に感想を話したところ、なんと夫も同じ日に、同じ逸話を読んでいたとのこと。この不思議な出来事に驚くとともに、これは神様からのメッセージではないかと思いました。
「私の身上は、夫婦で成人させてやりたいとの親心からお見せいただいたものではないか」。そう悟った私たちは、すぐ本部神殿へ足を運び、夫婦で心を揃えて成人させていただくことをお誓いしました。以後、教えや日々の通り方を夫婦でねり合うとともに、腰の痛みが悪化するたび、身上に込められた神様の思惑について思案を重ねました。
症状が一進一退を繰り返すなか、2カ月目には腰に加えて、あばら骨の痛みや難聴、頭痛など、原因不明の病気が体の至るところに次々と現れました。移動には車いすや杖が必要になり、自分の思い通りにならない生活を送るなか、私は「自分の心づかいが原因だ」と、自らの通り方を責め続けました。また、夫婦でねり合いを重ねれば重ねるほど、何が正しいのか分からなくなっていきました。
3カ月目に入ると、日常生活を送れないほどの痛みに襲われ、ついに寝たきり状態に。授業への出席はおろか、修養科の辞退を視野に入れざるを得ないような状態に陥りました。そんなある日、あばら骨に、それまでとは比較にならないほどの激痛を感じ、恐怖を覚えました。幸い、そばにいた夫がすぐにおさづけを取り次いでくれたところ、不思議にも、それまでの痛みが嘘のように治まりました。
それから夫婦で話し合う中で、「神様はこれまでも大難を小難にしてくださっていたのでは」と思いが至りました。そして、3カ月間ずっと支え続けてくれた夫や、いつもニコニコして私の心を救ってくれた長男など、当たり前だと感じていたことが、親神様のご守護そのものであることにハッと気づいたのです。その瞬間、負の感情はどこかへ消え、神様への感謝の思いに包まれました。その日以降、体中の痛みは日に日に和らぎ、修養科を無事に修了することができました。
親神様が、私の成人に応じて身上をお見せくださったこと、そして、いままでずっとお見守りくださっていたことに気づいたとき、神様の存在をありありと感じ取ることができました。
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修了後、私たちは所属教会の近所で新しい生活を始めました。また現在、第二子を授けていただきました。今後も「夫婦で心を揃えること」を生涯のテーマとして、子供に信仰の喜びを伝えながら、一層成人させてもらいたいと思います。