憂えるアフガニスタンの現状 – 視点
8月、アフガニスタンに20年駐留していた米軍が撤収した直後、イスラム原理主義勢力タリバンが政権を奪取した。米国は「9.11」同時多発テロ事件をきっかけに、テロ組織の壊滅とアフガニスタンに民主主義を根づかせることを目指したが、達せられなかった。
一方、タリバン政権にとっては、民族自決を成し遂げ、自らが信じるイスラム法による統治を復活することになる。
現地ルポによると、一般にアフガニスタンの人々は、素朴で礼儀正しく親切だが、古くから民族間の対立もあって内戦やテロが続いたことで、その犠牲となり、貧困にもあえいできた。さらに追いうちをかけるようなこの混乱で、恐怖と絶望を感じているという。
また、米国介入以前のタリバンは、女性の仕事や教育に著しく制限を設けていたが、今回はイスラム法の枠内での権利を認めると主張していることなど、国際社会の常識を意識しているふしも見られるが、なお予断を許さない。
国際紛争は、民族、宗教、イデオロギー、歴史などの複雑な要素が絡み合っていて、一概に是非を論じにくい。しかし戦争やテロ、差別は悲しく忌むべきことであり、民主主義国家に属して自由と平和と平等を享受している私たちとしては、現状では民主主義政体が最も優れていると考えるうえから、この状況を憂慮せざるを得ない。
『産経新聞』の「正論」で、櫻田淳・東洋大学教授は「『民主主義』という政治体制や『自由』を筆頭とする諸々の価値は、それに合う文明上、社会上の『土壌』にしか根付かない『植物』である。(中略)そのような『土壌』がアフガニスタンにはなかった」と指摘している。
根本的には、人間としての普遍的な価値による精神の土壌をつくることが大切なのだ。そのためには、気の遠くなるような絶えざる努力を必要とする。だからこそ、遅々たる歩みであろうとも、世界中の人々の心を澄みきらせ、陽気ぐらしの教えを浸透させていく私たちの歩みの大切さを、あらためて思う。
(松村義)