集団の成長を促す「対話」- 人と関わる知恵
金山元春
天理大学教授・本部直属淀分教会淀高知布教所長
数回にわたって、さまざまな集団について論じてきました。互いを認め合い、切磋琢磨する集団では、一人ひとりの成長が促され、課題が生じたときでも支え合うことで、それを乗り越えようとします。
たとえば、学生にとって路傍講演は高いハードルですが、「学生生徒修養会」では「班の仲間と一緒ならできる」という思いに支えられて、多くの学生が、それを跳び越えていきます。これはまさに集団の力によって個人の成長が促された姿といえます。
互いを認め合う集団を育成するうえで大切なのが、相互理解を深めるための「対話」です。先に例として挙げた「学生生徒修養会」を含め、教内の講習会や研修会でも、「談じ合い」や「ねりあい」として、あるいは「振り返り」や「グループワーク」などの名称で、対話の時間が設けられています。集団のリーダーはメンバーと対話し、その思いを受けとめていくとともに、メンバー同士の建設的な対話を促す必要があります。
対話の場では、誰もが安心して発言できるように配慮します。特定の人だけ話し続けるような場合は「○○さんがおっしゃりたいことは……ということでしょうか」と要約したうえで、「△△さんはいかがですか」などと、ほかの人に発言の機会を与えるようにしましょう。ただし、これは全員が発言しないといけないという意味ではありません。集団の中には「いまは話を聴いていたい」という人もいます。それぞれの参加の仕方を尊重し、「ここでは皆が大切にされている」という雰囲気広がるよう心がけましょう。
また対話というと、活発に話し合っている姿が思い浮かびますが、対話においては沈黙の時間も大切です。なぜなら、人は沈黙の中でこそ、自分自身と深く対話し、自らを顧みて、多くの気づきを得ることがあるからです。言葉が見つからないために黙っているようであれば、こちらが相手の思いを察してそれを言葉にしたり、話題を提供したりする必要もあります。しかし、自分が沈黙に耐えられずに話しだしてしまって、結果として相手の自己内対話(自分の思いや考えを自分で振り返ること)を遮ってしまえば、その人が成人するための貴重な機会を奪うことにもなりかねません。対話の場では沈黙の意味を考えることも重要です。