おやのことば・おやのこころ(2021年12月8日号)
さあ/\その定めた心を受け取るで。楽しめ、楽しめ。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』36「定めた心」
年の瀬を迎えると、尊敬してやまないO先生を思い出します。あれは20年前、「布教の家」北海道寮の寮生だったときのことです。
暮れも押し迫った12月30日、年末も関係なく、いつものように住宅地で戸別訪問に歩いていました。すると、教務支庁でよくお会いするO先生とばったり出くわしました。「O先生、こんにちは」と声をかけると「いやあ、恥ずかしいところを見られちゃったな」と、O先生は体裁が悪そうにおっしゃるのです。どうされたのかお伺いすると、「年の初めに定めた戸別訪問の軒数にまだ足りなくてね。いま、慌てて家々を回っているところなんだよ」とのことでした。
その話を聞いた瞬間、ガツンと衝撃が走りました。その年も残り2日といった折、教会長であれば元旦祭の準備をはじめ、教会の年末の大掃除や信者宅回り、年賀状書きなど、やりたいことが山のようにあるはず。それなのに自分の都合や用事は脇に置き、神様との約束を最優先して動いている姿に、大きな衝撃を受けたのです。そもそも、O先生が戸別訪問を何軒心定めしているかなんて、神様のほか誰も知りません。神一条の信念とは、まさにこの姿だと、身が引き締まる思いになったものでした。
いつか自分もO先生のようになりたいと思いつつ、はや20年。恥ずかしなていがら、まだまだ届かぬわが体たらくに、今年も反省しきりの師走です。
(な)