風通しの良い集団に – 人と関わる知恵
金山元春
天理大学教授・本部直属淀分教会淀高知布教所長
このエッセーで論じてきたように、集団で何かを成し遂げる経験は、私たちの成長にとって欠かせないものです。しかし、集団としてのまとまりが強調されすぎると、皆が同じであることを強いる“同調圧力”が働くことがあるので注意が必要です。そうした集団においては、一人ひとりの個性が尊重されず、独自の考え方や行動を示す個人が攻撃や排除の対象となり、それがいじめやハラスメントにつながることもあります。
「おさしづ」に「人を毀ったり悪く言うてはどうもならん。人を毀って、何ぼ道を神が付けても、毀つから道を無いようにするのやで」(明治23年2月6日)とあります。また、「蔭で言う事は十代罪と言う。蔭で言うならその者直ぐに言うてやれ」(明治24年1月29日)「ぼそ/\話はろくな事や無いと思え。誰彼言うやない。そのまゝ直ぐに諭してくれ。こそ/\話は罪を拵える台とも諭し置こう」(明治26年12月6日)ともあります。
集団の中には、自分と考えが合わなかったり、こちらが疑問に思うような言動を繰り返したりする人もいます。しかし、それをいじめやハラスメントの理由として認めるわけにはいきません。相手に対して疑問に思うことがあれば、そのことを素直に伝えればいいのであって、その人を除け者にしたり、陰で悪口を言ったりしても、誰も幸せにはなれないでしょう。
私たちが誰かに対してある印象を持つと、その印象に当てはまる言動ばかりが目に付くようになります。そうして「あの人は、やっぱりそういう人だ」と思い込みます。しかし、その人の日々の生活の中では、こちらの思い込みを覆すような姿も見られるはずです。
誰かの言動によって「〇〇な人だ」と決めつけたくなったときには、「この人なりのもっともな理由があるのかもしれない」と、少し間を置くようにしてみてください。すると、その人に対する印象が少し変わり、関わり方も徐々に変化していきます。時間はかかるかもしれませんが、そうした積み重ねが陽気ぐらしにつながると思うのです。多様性を認め合う風通しの良い集団を目指しましょう。