“つながりの格差”広がるなか – 視点
コロナ禍の影響の一つに、人と人とのつながりが分断されたことがある。しかし、この分断・孤立化の傾向は、いまに始まったことではない。
青年会本部発行『あらきとうりよう』284号の石田光規氏(早稲田大学文学学術院教授)の論考によると、明治以降の歴史は、「ムラ社会」と呼ばれる集団的体質から、徐々に脱却する方向へ進んでいるという。たとえば、個室にエアコンやテレビが普及し、情報通信環境が整い、生活の維持は、身近な人間関係ではなく、代価を払った商品やサービス、そして行政の社会保障に委ねられるようになった。これにより、人間関係を強制されない気楽さを手に入れる一方で、人とつながるための材料を自ら努力して用意しなければ、関係から切り離されるような時代となった。つながりの多い者と、そうでない者の格差が広がっているというのだ。
さらに現在は、コロナ禍により人と人とのつながりが「不要不急」の領域となり、会うに足る理由のない人が、切り捨てられるような状況になっているという。
世の中には、潜在的に困難な状態に陥り、たすけを必要とする人が少なからずいる。そこにこそ、互い立て合いたすけ合いの生き方を目指す道の者の働き場がある。
ただ、手を差し伸べる前段階での“心の壁”が昔よりも厚く高くなっている分、それを乗り越えるために、より大きな努力と工夫が必要だろう。
さらには、手を差し伸べる側にあろうとする教会長やようぼくも、孤立化に慣れた世上に生きている。人のために自分のプライバシーの時間と空間を割くことを厭ったり、相手の反応を過剰に意識したりするあまり、信仰を勧めることや、話を聞く時間を取ってもらうことに躊躇する人もいるのではないか。
しかし、この道は世上の風潮を超えた天然自然の理であり、教えの実行によって必ず乗り越えられるはずだ。心のほこりを払い、教祖のひながたに倣うことで、難儀する人を放っておけないという、人に尽くす精神を日ごろから養うことも必要だろう。
(松村義)