志持つ者がつけた道 – 日本史コンシェルジュ
「男子の死に場所とは、どこでしょうか?」
かつて吉田松陰は愛弟子の高杉晋作にこう問われました。この重い問いに、松陰は長い間答えることができませんでしたが、安政の大獄で露と消える直前に、獄中から晋作に向けて返事を認めました。
「死は好むべきものではないが、憎むべきものでもない。世の中には、身は生きていても、心は死んだのと同じ人がいる。反対に、身は滅びても、魂は生き続けている人もいる。死んで不朽のことが残せる見込みがあれば、いつ死んでもよい。生きて大業の見込みがあれば、どこまでも生きるべきだ。人間というものは、生死を度外視して、今、自分がやるべきことをやるという心構えが大切なのだ」
生死を超えて「志」を持て! 師の魂の叫びが、晋作の胸にしっかりと刻まれていたのでしょう。池田屋事件、蛤御門の変、米・英・仏・蘭の4カ国連合艦隊との敗戦、幕府軍による第1次長州征討への備えと、容赦なくピンチが押し寄せ、誰もが絶望としか思えないような局面に、晋作は嬉々として立ち向かっていきます。
「今」こそが、男子の死に場所だ――。元治元(1864)年12月15日、晋作は功山寺で決起します。彼に味方する者は、伊藤俊輔(博文、のちの初代内閣総理大臣)ほか80余名のみ。
「是より長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」
功山寺に身を寄せる長州派の公卿5名にこう宣言すると、悠然と月光冴えわたる雪道を馬で駆け抜けて出陣。ここから晋作の怒濤の快進撃が始まりました。
翌朝、下関の奉行所を占拠し、三田尻の海軍局を味方につけ、藩のすべての軍艦を掌握。この一報が駆け巡ると、晋作に味方する者が続出し一大勢力に――。2カ月の死闘の末、長州藩の正規軍に勝利し、ここから世界史の奇跡といわれる幕末維新史は一気に加速します。松陰から晋作への「志」のリレーが、時代を動かした瞬間でした。
自らも生死を超えた志に生きた松陰の魂は、今も燦然と輝き、不朽のメッセージを私たちに送り続けています。「あなたの志は何ですか?」と。
白駒妃登美(Shirakoma Hitomi)