天理時報2024年4月3日号6面
【タイで2回目の教育支援 小学校などで“特別授業” – 天理大学「国際参加プロジェクト」】学生たちは、折り紙などを通じて日本文化を紹介する”特別授業”を行った(2月19日、チェンマイ県で)天理大学国際交流センター室が主導する第20回「国際参加プロジェクト」は、2月12日から28日にかけてタイ王国の3都市・県を拠点に実施された。同国での実施は昨年に引き続き2回目。参加した学生11人は、現地の小学校など5校を訪問して教育支援を行ったほか、チャオプラヤ川の清掃活動を実施した。同プロジェクトは、天理大学が標榜する「他者への献身」を国際的な舞台で実践するもの。2001年、インド西部地震の際に現地で救援活動を行って以来、アジアの発展途上国へ活動の場を広げ、災害救援や教育支援などを展開している。「バディ」のサポート受け12日に現地入りした一行は、オリエンテーションを経て、14日から東北地方マハーサーラカーム県にあるドンビエンチャン小学校で活動開始。タイ語による劇や折り紙の記念品づくりなど、日本文化にふれる”特別授業”を行った。さらに15日には、中高一貫校のマハーサーラカーム大学附属学校、翌16日には地域で少子高齢化が深刻な問題になっているバンメイヤイ学校で、それぞれ児童・生徒らと交流した。この後、北部の都市チェンマイに続いて、首都バンコクを訪れた一行は、バンコク都環境局の協力のもと、チャオプラヤ川で清掃活動を実施。これは昨年、野口信也・タイ出張所長が、環境局長を務めていた旧友に協力を打診して実現したもの。学生たちは環境局員の清掃員と共に12隻のボートに分乗し、川に浮かぶ大量のごみを回収した。なお、期間中、天理大学の交流協定校である大学で日本語を専攻する学生が「バディ」(相棒)として参加。マハーサーラカーム県では13人、チェンマイ県では7人が、天理大学生の通訳をはじめとする生活面のサポートを行った。◇参加した学生の一人で、今回プロジェクトリーダーを務めた山田友見さん(体育学部3年)は「バディと共に一つの目標に向かって協力し、互いの思いを尊重し合うことで、言葉や文化の壁を越えた、特別な絆ができたように思う」と笑顔を見せた。同プロジェクト担当の関本克良・天理大学教授は「初めて海外に出る学生も少なくないなか、互いにたすけ合う場面がそこかしこで見られ、非常に有意義なプロジェクトになったと感じている。これからも、海外と日本の”懸け橋”となる取り組みを一層推し進めていきたい」と語った。, 【人間も一緒だね – 成人へのビジョン23】これはここだけの秘密なのですが、自然現象を述べた後に「人間も一緒だね」と言うと、さも深い話や格言であるかのような雰囲気が出ます。そんな分かりきったことを、と言う向きもありますが、面と向かって公言するのは私が初だと思うので、世に知れる前に特許を申請したいと思います。私が住む北海道の教会では薪ストーブで暖を取ります。朝起きて一番にすることは、灰を取り、火をつけること。月に一度は煙突掃除も。4月の中ごろまで欠かすことができません。そんな”薪の教え”を一つ。イラスト・かにたづこ「薪は乾燥しているほどよく燃える。2本あると互いの火を伝播するから燃えやすい。とりわけ一番大事なのは空気の流れ。空気の通り道がないと火は途絶える――このことは人間も一緒である」どうでしょうか。渇いた心、満足を知らぬ理想を求める青年の心はよく燃える。仲間がいると、なおよい。情熱は燃え移り、互いを高め合う。そして内にこもらず、外の新鮮な空気を吸うこと。現実の生、実社会での呼吸を大切にせよ――。素晴らしい。「信仰も一緒だね」バージョンもあります。これもなかなか、それらしい感じが出るから不思議です。薪の教えなど、そのまま若い信仰者へ向けたメッセージとして通用しそうですが、いかがでしょう。実はこの「人間も一緒だね」は、私の文章の主成分の一つです。自然から人のあり方を学ぶ“人間も一緒だねメソッド”は、割と理にかなっていると思います。というのも、「人間も自然も同じ親神様のご守護の道筋によって、かくあらしめられている」と考えるからです。そこにはおのずと、両者に共通する理の働きがあるはずです。その端的な証左が十全の守護の説き分けではないでしょうか。説き分けの一般的な形式は、「人間身の内の◯◯、世界では◯◯の守護の理」というものですが、「身の内」と「世界」が同じ守護の理のもとに語られています。ゆえに世界(自然)から学ぶことは多い。特許を目論んでいましたが、親神様の教えは一れつ兄弟姉妹の大切な財産。火、水、風の無限の働きを前に、虚心に学び続けたいと思います。可児義孝, 【病を得て「おやさとひのきしん」- 読者のひろば】牛坂和彦(72歳・福島市)2023年10月、市民検診を受けたところ、胃がんが発覚した。急遽、入院して手術を受けることになった。 腫瘍の摘出手術は無事終わったものの、傷口がうまく塞がっていないためか、その日の夜、何度も吐血した。「このまま死んでしまうかもしれない」。そう感じた私は、その場で修養科を志願する心を定め、親神様に「どうかおたすけください」と一心に願った。すると、吐血がピタリと止まった。翌日、内視鏡検査を受けると、出血は見られず、鮮やかなご守護を頂いた。2024年1月から修養科を志願するつもりだったが、どうしても仕事の都合がつかず、先延ばしをすることになった。それでも何か、おぢばでひのきしんをさせてもらいたいと考えていたところ、以前の『天理時報』に載っていた「おやさとひのきしん」のことを思い出した。そこで、1週間ほど休暇を取って帰参し、境内地で毎日、除草ひのきしんに勤しんだ。好天のもと草を引いていると、温みのご守護をありありと感じるとともに、健康な体をお借りしていることへの感謝の心があふれてくる。修養科を志願するその日まで、今後も機会をつくって、おぢばでのひのきしんを続けていきたい。