天理時報2023年11月1日号3面
【開設70周年記念大会 – 布教の家「広島寮」】布教の家「広島寮」(沖正敏寮長)は10月1日、広島市の教務支庁で「布教の家廣島寮開設70周年記念大会」を開催。同寮の卒寮生など110人が参加した。同寮は、戦後まもない昭和28年に開設。当時、橋の下などをねぐらとしておたすけに奔走していた布教師のために、教区内から「せめて夜露をしのげる場を」との声が上がったことが始まりとされる。以来、70年にわたって多くの布教師たちが「とにかく歩く」を合言葉に、にをいがけ・おたすけに邁進してきた。当日は、土佐剛直・布教部布教一課長が祝辞を述べたほか、久保善平本部員が記念講演を行った。式典の後、参加者たちは教務支庁周辺で神名流しに歩いた。沖寮長(64歳・廣島港分教会長・広島市)は「寮生たちが日々布教に歩く姿は、広島教区全体の励みになっている。年祭に向けて、教区が一手一つに歩みを進められるよう、これからも地道なにをいがけ・おたすけを続けていきたい」と話した。(広島・波多野社友情報提供), 【被災した友人にどう寄り添えば… – 人生相談】Q. 先の台風による豪雨で、遠方の友人宅が被災しました。後日、お見舞いの電話をかけると、友人は涙を流しながら「もう生きていけないかもしれない」と嘆いていました。心に深い傷を負う友人に、どう寄り添えばいいでしょうか。(40代女性)A. 自然災害は、ときに人々の人生を一変させてしまいます。住居をはじめ生活に必要なものを奪い、そのうえ、心に深い傷跡も残します。私の住む福島県いわき市では、未曽有の東日本大震災による津波や原発事故、令和元年の台風19号による豪雨、そして今年9月の台風13号による豪雨と、たびたび予期せぬ自然の猛威を受けました。そのたびに多くの人々から物的・心的支援を頂き、おかげで前を向いて復興への道を歩んでいます。その経験からいえば、「諭達第四号」に示される通り、悩み苦しむ友人には親身に寄り添い、まずはおつとめで祈ることが大切です。私自身、遠く離れた人からの「毎日、祈っていますよ」「お願いづとめをしています」という励ましの声が何より復興の力になりました。物の支援もありがたいです。ひと言メッセージを添えて必要な物を送るのも、復興の後押しになります。また、行政の力を借りることも大切です。ホームページで調べると、片づけなどのボランティア活動や、被災者への各種支援が多々あることが分かります。どうか、神様に祈りを捧げ、友人の気持ちを汲み取りつつ、長い目で親身に寄り添ってください。あなたのたすけ心が、きっと友人の心に届き、復興への原動力になるでしょう。回答者:平澤勇一(磐城平大教会長・福島教区長), 【創立記念式 4年ぶり – 一れつ会】一般財団法人「天理教一れつ会」(岩谷富太郎理事長)の創立95周年記念式は10月15日、第2食堂で開かれ、管内学校に学ぶ扶育生1196人が参加した。一れつ会は昭和3年、中山正善・二代真柱様が自身のご結婚の祝い金を基に創設。現在の扶育生は1927人(海外派遣留学生も含む)、扶育出身者は延べ5万9801人に上る。記念式の開催は4年ぶり。式典の中であいさつに立った岩谷理事長は、5年前の「創立90周年記念式」における真柱様のお言葉をもとに話を進めた。その中で、真柱様が、いま学校に通ってさまざまな知識を得たり、特技を磨き伸ばせたりするのは、一れつ会を通して扶育生の成人に真心をお寄せくださる人々のおかげであり、それは決して当たり前のことではないと指摘されたうえで、まずこのことを忘れず、人から頂いた真実に応えていける人、つまり恩返しができる人に育ってもらいたい、と求められたことを踏まえ、このお言葉をしっかりと心に刻み、努力を重ねていくよう促した。そして、現在は年祭へ向かう三年千日の歩み出しの年であることを心に置き、「親里にある学校で学ぶ皆さんには、一れつ会の扶育生として、また道の学生として、勇んで日々を過ごしていただきたい」と話した。この後、吉川万寿彦本部員が記念講演を行った。, 【「学校へゆかんでも…」- 視点】中山為信先生といえば、二代真柱様の姉・玉千代様とご結婚なされ、中山家の御分家となられたお方である。その為信先生が、義母にあたる中山たまへ様の追悼を『御母様の思ひ出』としてものされた中に、教祖の貴いお姿を拝することができる。先生は文中「御母様からお聴きして誌しておいた覚書の一節。お小さい時の様子が窺へるやうに思ひますから、書きなほさずに其の儘を抄録いたします」と、前置きされたうえで、次のように記される。「私(御母様)は赤い着物を着て学校に通ふてゐた。すると子供達は『天理さんの小狐』といふて私にからかうたものである。それがつらさに私は学校へ行くのをいやがつた。(中略)かやうに私は学校に行くことを餘りきらふものであるから、お父様(前管長様)や姉やん(山澤ひさ)からは、叱るやうに又なだめるやうに云ふてきかされるのであるが、どうしても行く気にはなれなんだ。其の事が教祖様のお耳にはいつて姉やんにお尋ねになるが、姉やんは『赤い着物をいやがる』といふ事だけはどうしても教祖様にいへなんだ。それで『学校へ行くのがいややといふて泣いてゐる』とお答へするより外はなかつた。すると教祖様は『玉さんは学校へゆかんでもかまへんのやで。小寒の書物を眞之亮に教へて貰へばよい。小寒の書物は私(教祖様)があげたものや。小寒は其の本を秀司に教へて貰うたのや』とおつしやつた。私は百萬の味方を得たやうな氣強い感がしたことを今でも覚えてゐる」と。ご幼少のころ、そうしたことがあったのだが、先生は母たまへ様について次のように述懐される。「御母様の頭のよかつた事は御母様を知る程の人の斉しく認めるところと思ひます。記憶力、推理力、判断力何れ劣らず群を抜いて勝れて居られたといふてもいひ過ぎではありますまい」(『みちのとも』昭和13年9月号)教祖の「学校へゆかんでもかまへんのやで」とのお言葉を深く味わわせていただく中に、今日の子供たちを取り巻くさまざまな事情を思案する手掛かりがあるのではないかと思う。(橋本)※文中の(前管長様)は初代真柱様。