天理時報2023年9月20日3面
【別席取次人(2023年9月9日)】井筒年子立教186年9月9日お許しを頂かれました。内統領室, 【年齢を重ねるのが怖い – 人生相談】Q. 若いころは仕事で些細な失敗を繰り返しても大目に見てもらえましたが、40歳を超えれば当然、叱咤されます。正直なところ、これ以上、年を取るのが怖いです。どうすれば年齢を重ねることを受け入れていけるでしょうか。(40代男性)A. 残念ながら誰しも過去に戻ることはできず、毎年、同じように年を取り、年齢を重ねていくのが人生です。「四十にして惑わず」。孔子の『論語』の中には、年齢に応じた格言が示されています。しかしながら、60歳を超えた私自身も、いまだに迷いながら人生を歩んでいます。若いころは、60歳を超えた人を見れば経験豊かで立派だと感じていましたが、自分がその歳になってみると、そうでもないなあと思っています。年齢の感じ方には個人差があります。他人から見たあなたと、自分が考えているあなたとは評価が違うものです。謙虚な思いで人生を歩むことは大切です。まずは、不安を乗り越えられるよう、親神様・教祖に心を込めて祈りを捧げてください。そして、親神様の十全のご守護で今日も生かされている、ありがたいと感謝して、一日のスタートを切ることです。年を取るのも親神様のおかげです。人生の目標は「陽気ぐらし」であり、周囲の人とたすけ合いながら人生を歩むことを教えられています。自分だけではなく、誰もが悩みを抱えながら人生を歩んでいます。周りの方々にもアドバイスをもらいながら、一歩を踏み出してください。大丈夫、親神様・教祖が後押しをしてくださいます。回答者:平澤勇一(磐城平大教会長・福島教区長), 【ハワイ・マウイ島の山火事に義援金 – 国際たすけあいネット】8月8日、ハワイ州マウイ島の複数の場所で大規模な山火事が発生。特に被害の大きかったラハイナ地区では約880ヘクタールが焼失した。被災地域の死者は100人を超えるなど、アメリカで起きた山火事の中では過去100年で最悪の被害とされている。こうした事態を受け、世界の災害被災地などへ支援活動を行う海外部「国際たすけあいネット」(中田晃代表)は9月8日、同基金からハワイ伝道庁(小原仁郎庁長)へ1万5千ドルを寄託。義援金はこの後、同伝道庁が行っている災害募金とともに、現地の支援団体へ寄託される。同じく災害募金を実施しているアメリカ伝道庁(深谷洋庁長)からも、ハワイ伝道庁へ義援金を届ける予定だ。報道によると、壊滅的な被害に見舞われたラハイナの中心部では、現在も住民の立ち入りが厳しく制限されており、5千人超がホテルなどで避難生活を強いられている。亡くなった家族の弔いはおろか、自分の家に帰ることすら叶わない人がほとんどで、いまだ生活再建のめどが立たない状態だという。同ネットへの問い合わせは事務局まで。◎国際たすけあいネット事務局TEL:0743‐63‐2404FAX:0743‐62‐0227Eメール[email protected], 【宗教の「公共性」をめぐって – 視点】世界平和統一家庭連合(旧統一教会)をめぐる対応で、文部科学省は、来月にも教団の解散命令を請求する方向で調整中と報じられている。解散請求の焦点となるのが、宗教の「公共性」をめぐる問題である。宗教法人法第81条の「解散命令」には、「公共の福祉を害する」行為や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」をした場合などが、その対象となり得るという。この「公共の福祉」の具体的なイメージは、にわかに抱きにくい。実際それは明確な内容を規定するものではなく、むしろ「公益」や「社会全体の利益」といった、漠然とした捉え方しかできないものだからだ。旧統一教会の例は措くとしても、公共の福祉のこうした性格には、現代における宗教と社会の関係性を探る一つの鍵がある。公共の福祉にほぼ相当する表現に「公共性」という概念がある。宗教が公共性を持つことは、政治の領域では問題をはらみながらも続けられる一方で、社会福祉や医療などの広範な領域では、むしろ積極的に捉えられている。要するに、宗教を語る際にイメージされる公共性とは、宗教に対する社会や世論の期待をおぼろげに映し出す“鏡”の役割を果たしていると言えるかもしれない。いずれにせよ、近代以降の民主国家における宗教は、常に公共性との関係の中で評価される現象なのである。歴史的文脈も内容も異なるが、天理教では、一派独立運動さなかの明治36(1903)年に、「神道本局所属天理教会禁止解散請願書」が衆議院へ提出されたことがあった。これを受け、一連の対応に当たっていた松村吉太郎が上京する際に伺った「おさしづ」では「さあ/\まあいろ/\の話、元が分からんから元を顕わする」と、元を明らかにする意義を強調され、さらに「さあ/\直ぐ/\行って来るがよい。どんな事も話して来るがよい。隠し包みは、すっきり要らんで、要らんで」(明治36年5月29日)と諭されている。この大らかで真っすぐなご神言を、いまあらためて心に治め、同時に、一派独立の苦闘を支えた初代真柱様や先人の艱難苦労にも思いを馳せたい。(島田)