天理時報2023年7月12日号3面
【結婚式は挙げないと言う一人娘 – 人生相談】Q. 離れて暮らす一人娘が結婚を考えているようですが、式を挙げる予定はないとのこと。説得しようと何度も連絡したのですが、嫌われたのか、反応すらありません。みんなで娘の門出をお祝いして、送り出したいだけなのですが。(50代女性)A. 親子団らんの時間は、あっという間に過ぎていくものです。離れて暮らしたまま結婚となると、せめてみんなでお祝いをしてと思われるのは、もっともなことです。また、当然そうするものとお考えのことでしょう。すべて二人だけで話を進め、結婚式も挙げないと言われると、驚きとともに寂しい気持ちになりますね。結婚式を挙げない理由は、儀式を堅苦しく思う、付き合い・義理といったものを嫌う、経済的価値感による、などが想像されますが、友人もそうだったからと、周囲に合わせようとしているのかもしれません。価値観の違いは、なかなか埋められるものではありません。説得しようとすればするほど反発する、というのは法則のようなものです。こちらの考えに従わせようと説得するのではなく、まずは、考えをよく聴いて、共通の価値感を見つけることが大切だと思います。時節柄、披露宴は遠慮される場合があるとしても、教祖にお誓いすることには大切な意味があると思います。お二人とその両親だけでも、あらためて教会へ参拝に赴かれてはいかがでしょうか。また、ご主人は、娘さんの考えに納得されているとのこと。そのうえで、あなたはどうするのかが、娘さんにとって一つの夫婦のあり方を示すことになるかと思います。回答者:西村和久(一筋分教会長・「憩の家」事情部教師), 【待つことも大切 – おやのことば・おやのこころ】六ッ むりにこいとハいはんでな いづれだん/\つきくるで「みかぐらうた」十二下り目スイレン梅雨の晴れ間、ある親子が教会へ参拝に来てくれました。昨年生まれたという長女は、これが初参拝。一方、母親が教会の敷居をまたぐのは、実に十数年ぶりのことで、懐かしい再会となりました。来訪のきっかけは、SNSでつながったことにあります。思春期は毎晩のように教会へ来て、親にも言えないという相談事をしていた彼女でしたが、ある日を境に急に連絡が取れなくなったため、心配していました。近況を尋ねると、いまも近隣の地域に住んでいるとのことで「近々、子供を連れて教会へ行っていいですか?」と返信があったのです。「ずっと、ありがとうを言いたかった」彼女は時折、目頭を押さえながら、積もる思いを語ってくれました。教会の人にはお世話になって感謝していたけれど、若気の至りから、なんとなく足が遠のき、以来、連絡を取りづらくなったとのこと。結婚して子供を授かり、また教会へ行きたいと思うようになったものの、そのきっかけを見いだせずにいたというのです。おたすけは、待つことも大切だといわれます。掲出のお歌にこもった親神様の神意を、少し味わわせていただけたような気がしました。間もなく「こどもおぢばがえり」が開幕します。今朝、この親子にお誘いのメールを送りました。どうか、良い返事が返ってきますように。(大西), 【父のように“丸い心”で – この旬に一歩成人】馬渕道弘さん34歳・弘本巢分教会長後継者・岐阜県瑞穂市教祖140年祭に向け、教会の御用の合間を縫って神名流しを続けている。この姿を、教祖がお喜びくださっていると信じ、地域の隅々まで天理王命の神名と拍子木の音が届くよう、勇んでつとめている。教会長の長男として生まれた私は高校卒業後、一般企業に就職したが、9年前に退職を決意し、修養科を志願。きっかけは、かつて親神様から不思議なご守護を頂いた体験を思い出したことにある。13歳のとき、不慮の事故で大やけどを負い、命も危ぶまれたところを奇跡的におたすけいただいた。当時を振り返る中で親神様のお導きを感じ、「これからは専らお道の御用を」との思いになった。修了後は布教の家「愛知寮」に入寮し、にをいがけ・おたすけに専心する日々を送った。卒寮後、教会長である父が「胃がん」で出直すという大節に直面した。「真面目に御用をつとめていた父が、なぜ……」との思いがよぎったが、上級教会の会長さんから「出直しにも親神様の親心が込められている」と諭された。父親の出直しを通じて、親神様から一層の成人を促されているのかもしれないと感じた私は、それまで以上に心を込めて、教会の御用やにをいがけに努めてきた。父は、そこにいるだけで周囲の人を陽気にする人だった。教祖140年祭へ向かうこの旬には、父のように“丸い心”で周りの人に接することを心がけていきたい。, 【親のまなざしと同じ方向に – 視点】東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」。「未完の大聖堂」と称されるサグラダ・ファミリアの建築に心血を注いだ天才建築家、アントニ・ガウディの関連資料など約100点が展示されている。その中に、聖堂を飾る彫刻造りに半世紀近く打ち込んだ外尾悦郎氏の作品も。世界遺産「生誕の門」の中央に配置された9体の石膏彫刻「歌う天使たち」の前には、人垣が絶えない。外尾氏は、言わずと知れた海外で活躍する高名な日本人の一人。異邦人でありながらもガウディの遺志を受け継ぎ、世界に類を見ない聖堂の建築をリードする「石のマエストロ(巨匠)」だ。その活躍の背景には、熱心なお道の信仰者だった母・久美江さんの生きざまがある。夫に先立たれ、女手ひとつで4人の子供を育て上げた母。「小さな体には重過ぎるほどの荷物を背負いながらも、明るく前向きに人生を通ってくれました。そして私たちには、事あるごとに『謙虚』と『感謝』の大切さを諭してくれました。この母の教えは、私たちの体にも染み込んでいて、そのおかげで、いまの自分があると感謝しています」と、氏は近著『時の中の自分』(道友社刊)で述懐している。聖堂の主要な彫刻を任されるなか、大きな壁にぶつかる。ガウディの思想を継承しようにも、スペイン内戦で図面は焼失し、模型も破壊されていたのだ。煩悶の末、二つの手がかりをつかむ。一つは「オリジン(起源)へ還る」、もう一つは「ガウディと同じ方向を見る」。ガウディが自然観察を通じて建築原理を見いだしたように、氏は「オリジンは自然のなかにある」と気づく。そして、もう一つの手がかりは苦悶のさなかに閃く。ある日、ガウディはどこを見ていたのだろうかと思った。「ガウディの見ている方向を見ようとした瞬間に、一つになれた気がした」という。この二つの手がかりは示唆に富む。道の信仰者にとって「天の理」がオリジンだろう。そして、その教えを人間に伝えられた教祖は、今も世界一れつ漏れなく“たすけのまなざし”を注がれている。その親のまなざしと同じ方向に、子として目を凝らし続けているかと自問する中で、現代社会の見えにくい難渋の諸相も、よりリアルに心に映るのではないだろうか。(松本), 【創立90周年記念祭・4代会長就任奉告祭 – 本明實分教会】本部直属本明實分教会(中山昭悦会長・奈良県大和郡山市)は5月21日、中山大亮様、中山はるえ様を迎え、創立90周年記念祭ならびに4代会長就任奉告祭を執り行った。同教会では、「日々の理を運ばせていただこう」と、日々の心づくりと理づくりを申し合わせるとともに、地域に根ざした教会を目指して、「こども食堂」の取り組みを進めてきた。当日は、真柱様のメッセージを、大亮様が代読。続いて、おつとめを勤めた。あいさつに立った中山会長は、大亮様、はるえ様に御礼と決意を述べた。そして参拝者に対しては、謝辞に続いて「教祖140年祭に向けて、精いっぱい力の限り通らせていただき、皆さまと共に、道が末代続くよう、育つ努力、育てる努力を重ねていきたい」と誓った。準備段階を含め、当日は多くの教友が参集。また、近隣住民も交えて模擬店や余興を楽しんだ。(本明實分・脇社友)