天理時報2023年6月21日号3面
【立て合う旬に信仰の喜び伝えて – 新コーナー この旬に一歩成人】教祖140年祭へ向かう旬に、これまでよりも一歩成人した姿を目指す――。「全教会一斉巡教」を終え、現在、各地では教会長を先頭に、ようぼく・信者が仕切ってたすけ一条の歩みを進めている。この新コーナーでは、さまざまな年祭活動に取り組むようぼく・信者を紹介する。久米田忠義さん30歳・北盛分教会長後継者・奈良県大和郡山市5年前、布教の家「北海道寮」で布教に専心する1年を過ごした。その後も御用に努めるなか、4月から郡山大教会所管の「布教実修所」に入所し、再び布教に歩く日々を送っている。きっかけは、自教会の創立100周年と教祖140年祭活動の初年が立て合ったこと。自教会の初代会長に思いを馳せ、その足跡をたどりたいと思った。戸別訪問を続けても、なかなか話を聞いてくれる人と巡り合えない。行き詰まりを感じ、ある先生に相談すると、「お道のにをいを感じてもらえるよう意識すればいい」と教えてくださった。結果ばかりを求める「よく」の心づかいがあったことを反省し、信仰の喜びを伝えることを意識して歩くと、不思議と話を聞いてくださる人と巡り合うことができた。実修所での期間を終えてからも、自教会を拠点に布教に歩き、親神様・教祖にお喜びいただきたい。, 【後押しを実感 夏の帰参めざす – 新コーナー この旬に一歩成人】教祖140年祭へ向かう旬に、これまでよりも一歩成人した姿を目指す――。「全教会一斉巡教」を終え、現在、各地では教会長を先頭に、ようぼく・信者が仕切ってたすけ一条の歩みを進めている。この新コーナーでは、さまざまな年祭活動に取り組むようぼく・信者を紹介する。本田なおかさん50歳・本芝房分教会教人・奈良県香芝市信仰初代の私は、10年前の教祖130年祭へ向かう旬に修養科を志願し、息子の精神的な身上をご守護いただきました。親神様の不思議なお働きを実感し、にをいがけに歩くようになったのです。両親や身近な人に教えを伝えるとともに、にをいがけで出会った方に別席を運んでもらうなどの有り難い姿を、お見せいただきました。いまでも初対面の人に教えを伝えるときは不安な気持ちが先立ちます。それでも、教祖140年祭へ向かう“踏み出しの年”に、にをいがけに一層励むことを親神様・教祖にお誓いしました。すると早速、話を聞いてくださる方と出会ったのです。「教祖が背中を押してくださっているかもしれない」と実感しています。いまの目標は、布教中に出会った方を「こどもおぢばがえり」にお連れすること。ご恩返しを胸に、にをいがけ・おたすけに努めたいと思います。, 【とげとげしい態度の友人をたすけたい – 人生相談】Q. 20年来の友人がいるのですが、最近、私や周りの人に対して、とげとげしい態度が増え、一緒にいるのがつらいです。話を聞こうとしても、話したくないとのこと。なんとか彼をたすける方法はないでしょうか。(50代男性)A. 友人とは20年来のお付き合いと伺い、これまで築いてきた信頼関係の深さに思いを致しました。ところが今、そんなあなたが聞いても突っぱねられるほど、重い悩みを抱えておられるようです。あなたは放っておけない気持ちはありながら、人格さえ否定される言葉を受けて、悲しい思いをなさっていますね。あなたが会うのがつらいと思われるのなら、少し距離を置いて見守られればいいと思います。無理をして会ったとしても、友人の心をますます苛立たせてしまうのは本意でありませんから。信仰する私たちは、たとえ直接会えなくても、相手の身上や事情のたすかりを願う手だてを教えていただいていますね。おつとめ、ひのきしん、にをいがけなど、あなたができることを精いっぱいにつとめ、相手を変えようとするのではなく、どこまでも教祖にお働きいただくことを願い、天に届く心を尽くしていきたいものです。そして、また一つ「皆これ世界は鏡」(おさしづ明治21年2月15日)とお聞かせいただきます。友人の姿を通じて、教祖はあなたにもメッセージを下さっていると思います。自分に矢印を向けて考え、胸の掃除に励み、どんなことも明るく受けとめられる陽気な心を培っていきましょう。「やっぱり信仰はありがたい」。そう思えます。回答者:吉福多恵子(濃飛分教会前会長夫人), 【“ハッピ文化”再考 – 視点】天理教のハッピは明治22年、秋津系信者数百人が、そろいのハッピを着て土持ひのきしんをしたことが始まりとされる。その後、ひのきしんに限らず、参拝やおさづけを取り次ぐなどの改まった場面でも着用されるようになった。ハッピは本教の“トレードマーク”でもある。ハッピ姿の人がひのきしんをしている様子を見て、未信仰の人が感銘を受けるということもある。一方で、ハッピ姿の人々が行き交う町の様子を初めて見た人から、「異様だ」といった否定的な声を聞くこともある。果たして、ハッピは教外者、とりわけ初めて本教に接する人の目にどのように映るのだろうか。管見では、このような問いを立てた調査は見当たらない。そこで筆者は、AIによる画像解析を行うカメラアプリを使って、ハッピがどのように認識されるのかを試してみた。同アプリは、撮影した被写体から得られる識別情報をもとに、関連する検索結果を表示する仕組みになっている。これを使って、「天理教」という文字が写るようにハッピ姿の人を後ろから撮影したところ、検索結果の上位に来たのは、黒地に白文字で「滅」や「天下無双」とあしらった画像であった。もちろん、この結果だけでハッピの印象を判断するのは早計である。インターネット上には本教のハッピに関する情報が少なすぎるのかもしれない。また、形態的特徴ではなく心理的側面に着眼すれば、もともと宗教に対して抱いている感情が、それが正のものであれ負のものであれ、ハッピに投影されるのかもしれない。その他いろいろな視点から考察する必要があるだろう。いずれにせよ、ハッピは自分の信仰を宣明するような服装であり、それを着る人は、自分の行動が他者からどう見られるのかを意識しておきたい。何より肝心なのは、ハッピを着ていようといまいと、ようぼくとしての自覚であり、「なるほど、お道の人は感心なもの」と言われるような日々の通り方を心がけることである。(三濱)