天理時報2023年3月22日号3面
【各地から約300人参集 – 台湾伝道庁16代庁長就任奉告祭】台湾伝道庁(台北市・松田純三庁長)は2月19日、中田善亮表統領、中田晃海外部次長を迎え、16代庁長就任奉告祭を執行。当日は台湾各地から270人の教友が参集した。祭典は、松田庁長による祭文奏上の後、真柱様のメッセージを、中田表統領が代読。その中で、伝道庁が担う役割や、教友が心を一つにすることの大切さについて諄々と諭された。続いて、中田表統領を芯に、陽気におつとめを勤めた。この後、あいさつに立った松田庁長は「心をそろえ、地道に教祖の教えを実行し、多くの人に教えが伝わるよう努力したい」と決意を述べた。祭典終了後、少年会台湾鼓笛隊による演奏が披露された。, 【否定的なことばかり言う夫 – 人生相談】Q. 夫の提案で、夫婦で話し合う時間を毎日設けています。この時間は大切だと思う一方で、夫は私のだめなところを指摘してくることが多く、正直なところ、しんどい気持ちがあります。どのように思案すればいいでしょうか。(30代女性)A. 夫婦で話し合いの時間を持つとは、なんて素敵なんだろうと思いましたが、よく読めば、それがあなたの悩みの元になっているとは、困りましたね。短いお手紙から察するに、ご主人も家庭をもっと明るく楽しくしたいと思って提案されたのでしょう。ところが、伝え方で損をしていて、あなたの心に届いていないようです。一方、あなたも話し合いの時間になると、「また何を言われるやら」と肩に力が入って、「ああ言われたら、こう返そう」などと予防線を張っていませんか。これでは、二人の心が治まるどころではないですね。少し視点を変えてお話しします。親神様がお造りくださった私たち人間は、男女それぞれに役割を頂いていますね。たとえば、ぬくみとうるおい、つなぎとつっぱり。これらの相反するものが互いにたすけ合い、協力するところに、見えてくる陽気ぐらし。相手を変えようと思っても変わらないけれど、ご主人の投げる直球をサラリと受けて、放物線を描くように、柔らかい球をさりげなく返してみよう――そう心に決めたら、きっと言葉が湧いてきます。あなたの周りの仲の良い先輩夫婦に聞いてごらんなさい。きっと「ああ、そんな日もあったな」と、遠い目をして仰るはず。夫婦の道も一日にして成らず、です。回答者:吉福多恵子(濃飛分教会前会長夫人), 【世話人変更 – 立教186年3月1日】東大教会桝井幸治筑紫大教会松村義司南紀大教会上田嘉太郎細川分教会諸井博和立教186年3月1日内統領室, 【“百花の魁”旬にほころぶ】柔らかい日差しと微かに漂う梅の香りが、春の訪れを告げる――。立春を過ぎたころ、あらゆる花の先頭を切って咲くことから“百花の魁”と呼ばれる梅。1月下旬、親里各所でも、旬を待ちかねた紅白の梅がほころんだ。本部中庭では、教祖殿前の紅梅が凜としたたたずまいを見せ、花の前で足を止める参拝者の姿が見られた。道友社では、親里の季節の移ろいを感じられる写真・動画を発信している。天理教ホームページ上の「おやさと百景」では、親里の風景や行事など、おぢばの四季折々の表情を写真や動画で随時アップ。また、道友社ホームページからアクセスできる「道友社インスタグラム」「写真班インスタグラム」でも、神苑周辺を彩る草花の写真や動画を見ることができる。このほか、親里の季節の風景を紹介したフォトブック『おやさと花だより 春』『おやさと紅葉だより 秋』を、おやさと書店および道友社ウェブストアで販売中。4月18日には、新刊『おやさとの空色』が発売される。, 【世界の「難儀」に想いを馳せ – 視点】2022年2月末に始まったウクライナ戦争は、1年が経過しても、なお混迷を深めている。コロナ感染は落ち着いてきたものの、新たな変異株の感染力については予断を許さない。また、トルコとシリアでは、大地震によって多くの無辜の命が失われた。さらに、気候変動による洪水や飢饉、戦争がもたらす食糧難など、世界中から深刻な被害が伝えられている。「おふでさき」では「むほん(謀反)/たゝかい(戦争)」や「これら(疫病)」に加えて、「山ぐゑ(山崩れ)」「かみなり(雷)」「ぢしん(地震)」「をふかぜ(大風)」「てんび火のあめ(大火災)」「つなみ(津波)」「水つき(洪水)」といった天変地異について、要するに、今日の世界を覆う「難儀」のほぼすべてに言及されている。それらはいずれも、人間に対する親神様の「ざねん」「りいふく」として、つまり、私たち人間に深い思案を促す厳しいメッセージとして捉えられるべきものである。一方、こうした今日の世界における「難儀」のありようは、私たちには、その生々しい映像がテレビやネットで流されるたびに、つい目を逸らしたくなる過酷な現実として映っているのではないか。確かに、一人ひとりのようぼくが、こうした現実の改善に直接的に関わることは難しい。私たちが日々の生活の中で心がける「たすけ」は、まずは自らの足元から始めるほかはないだろう。だが私たちは、あえてこうした世界の「難儀」に目を凝らし、想いを馳せるよう努めることで、その意味を思案するとともに、こうした現実に直面する人々もまた親神様の「こども」として、「きょうだい」として、私たちとつながっているという真実を、深く悟ることができるのではないだろうか。その悟りはまた、教祖が「おふでさき」に記された意味を、新たな眼差しで見つめ直す契機にもなり得るだろう。そうした思案を深めることで、私たちは「一れつきょうだい」という教えの神意を、真に実感できるようになるかもしれない。(島田)