天理時報2023年3月1日号6面
【東日本大震災から12年 – 道を楽しむ7】南米コロンビア巡教の帰路、飛行機を乗り換えるため、米国のマイアミに一泊していた。目が覚めると、携帯電話に安否を尋ねる大量のメールが。日本時間、平成23年3月11日。私が寝ている間に、日本は尋常ならぬ状況に陥っていたのだ。マイアミ空港へ行ったが、成田空港は閉鎖されているとのこと。やむなく2日後の便を取り直し、ホテルに戻って待機。そこで初めて、東北地方を中心とする巨大地震による津波で、三陸沿岸が甚大な被害に見舞われていることを知る。現地のテレビでも、津波被害の様子が繰り返し流れていた。家族とは全く連絡が取れず、無事を祈ることしかできない。不安ともどかしさに、胸が張り裂けそうだった。翌日、やっと妻とメールがつながる。家族や信者さんの無事は確認されたが、神殿の瓦は崩れ、壁も落ち、柱もよじれ、地震の凄絶さを実感させられた。遥か彼方で何もできず苛立つ私に、妻は「日本に帰ったら、山のように御用が待っているからね!」と檄を飛ばした。成田空港に着いたものの、岩手へ向かう東北新幹線も高速道路も不通。幸い、上越新幹線が動いていたので、少しでも北へ行こうと新潟へ向かった。道中、新潟の友人に連絡し、縋る思いで事の次第を説明した。絵・内田ちよいすると災害救援ひのきしん隊新潟教区隊の先遣隊が、翌日岩手に入るので、同乗できるように手配してくれた。新潟中越地震の際に指揮を執られた吉澤讓教区長(当時)の隣に座り、車中で貴重な助言を頂く。先回りのご守護を感じながら、やっとの思いで岩手に戻った。地震発生から、すでに5日経っていた。帰国後は妻の言う通りだった。父が教区長だったこともあり、自教会のことは後回しで、共に被災地を走り回った。行く先々で目にする悲惨な光景。耳にする悲壮な話。本部をはじめ、全国各地から駆けつけてくださる教友のご支援に、本当に身も心もたすけられた。特に真柱様が被災地へ足をお運びくださったことは、多くの教友たちの心の救いとなった。落胆する被災者に寄り添い、一心に耳を傾けられるお姿に、おたすけのあり方を学ばせていただいた。あの日から12年。震災救援を通じて頂いた多くの真実を味わい直し、ご恩報じのうえからも年祭活動に一層奮起したい。中田祥浩 花巻分教会長, 【両親の姿に倣い教えを伝えたい – 修養科の四季】第974期 濱田夏希さん24歳・三重県名張市・神良言分教会所属道一条に通る両親の姿を見て育ちました。幼少のころから風邪をひくと、「かしもの・かりもの」の教えの話とともに、おさづけを取り次いでくれました。しかし、当時の私は「なぜ、この話をするのだろう」と思い、信仰する意味がよく分かりませんでした。短期大学で保育士の資格を取得し、卒業後は天理託児所に勤務。やりがいをもって仕事に精を出すようになった2年目のある夜、強い腹痛に襲われました。横になるのもつらく、冷や汗をかく症状が何日も続きました。ついには、勤務にも影響が出始めたため、「憩の家」で検査を受けました。その結果、下腹部に異常があるとの診断。仕事をセーブしながら、副作用の強い治療薬を長期間服用することになったのです。「これからというときに、なぜ?」と、涙が止まりませんでした。下腹部の痛みや薬の副作用で食欲のない日が続くなか、職場の先輩は「おぢばでお見せいただいていることだから、きっと大丈夫」と何度も励ましてくれました。こうして、下腹部の身上を抱えたまま翌年に退職、上級教会で女子青年としてつとめ始めました。そんななか、上級教会の会長さんの勧めで修養科を志願したのです。人の心に目を向けて最初の1カ月は食事は取れていたものの、お腹が空くという感覚がありませんでした。そんなある日、クラスメートとひのきしんをして体を動かすうちに、久しぶりにお腹が空いてご飯が食べたいと思えたのです。その日の夕食を頂くと、満足感を味わえました。「お腹が空いて、ご飯が食べられることが、こんなにもありがたいことなのか」と、あらためて実感するとともに、「かしもの・かりもの」の教えを身をもって感じました。その後、心の余裕が出てきた2カ月目。精神的な身上を抱えたAさんが修養科に入ってきました。ある日、私がAさんにおさづけを取り次がせていただくことに。その際、取り次ぐ前に「かしもの・かりもの」の話が自然と口をついて出ました。身上を通じて「かしもの・かりもの」の教えを肌身に感じたことで、自分自身の心の向きが少し変わったのだと思います。おさづけの取り次ぎを終えたとき、幼いころ両親が丁寧に「かしもの・かりもの」の教えを話してくれたように、私自身も教えの一端を伝えられるようになりたいと素直に思いました。授業では『稿本天理教教祖伝』を読み進めるその後もAさんのたすかりを願ってお願いづとめやひのきしんをすることを心に定めて実践。私が修了する間際、塞ぎ込みがちだったAさんが前向きに修養生活を送るようになっていました。後ろ向きに捉えてしまっていた私自身の身上も、いまでは神様からの温かい親心なのだと受けとめています。そんな信仰の喜びを胸に、これからも人の心に目を向けて、この道を通らせていただきたいと思います。◇修了後、上級教会の女子青年として再び伏せ込んだのち、2月から地元の保育園で勤めています。社会へ出ても、”修養の日々”で学んだことを忘れず、両親の姿に倣いながら信仰実践を続けていきたいと思います。