天理時報2023年2月15日号3面
【小1の息子に習い事をさせたがる妻 – 人生相談】Q. 妻との教育観の違いに悩んでいます。妻は小学1年生の息子に、いまから何か習い事をさせたいと言うのですが、私はいずれ息子が興味を持ったことをさせればいいと思うのです。どのように意見を擦り合わせればいいでしょうか。(40代男性)A. 国内では、4歳までの子供の約7割が習い事を始めるという調査結果があります。習い事のメリットには、子供は6歳まで脳の発達が著しいため、高い学習効果が期待できるということがあります。特に、感覚的な要素が強いスポーツや音楽などは、より効果的です。スキルの習得がその後の人生に生かされ、豊かな生活が送れる可能性も高まります。一方、デメリットには、出費や時間、子供の心の負担があります。もし出費や時間に問題がなければ、心の負担に焦点を当て、夫婦で話し合ってみてはどうでしょう。また、定期的(学期ごとくらい)に習い事について、子供の意見に耳を傾ける機会を持つことも大切です。これは私の経験ですが、物事の習得には、親神様のお連れ通りを頂くことが大切だと思います。私は学生時代、ラグビーの全国大会常連校でプレーし、30歳を過ぎてから始めた油絵では、20年近くかかってプロになることができました。これは、自分の願いや意思を超えた不思議な機会や人との巡り合わせによるものだと思います。時は教祖140年祭三年千日の始まりです。この旬に、習い事とともに、息子さんが生涯にわたって親神様にお導きいただける徳をどのように積むかを、夫婦で談じ合ってみてはいかがでしょうか。回答者:堀健一(家庭支援プログラムアドバイザー・晃栄理布教所長), 【創立130周年記念祭 – 中野大教会】中野大教会(深谷德重会長・滋賀県東近江市)は2022年12月3日、創立130周年記念祭を執り行った。「報恩感謝の心で陽気ぐらしの実践ができるようぼくに育とう」のスローガンのもと、記念祭活動の歩みを進めてきた同大教会。迎えた当日は、前日来の雨が上がった冬晴れのもと、国内はもとより、遠くアメリカからも参拝者が詰めかけた。祭典では、おつとめを勤めた後、真柱様のメッセージを、深谷会長が代読した。続くあいさつでは、初代会長をはじめ先人の思いと信仰への熱意を、教祖140年祭へ向かう三年千日に生かそうと呼びかけた。(中野大・菅野社友), 【創立130周年記念祭 – 嶽東大教会】嶽東大教会(鈴木道輝会長・静岡県沼津市)は2022年11月30日、創立130周年記念祭を執り行った。同大教会では、「おつとめ奉仕者の増加」を活動方針に掲げ、一手一つにつとめてきた。祭典では、真柱様のメッセージを、大教会世話人の深谷善太郎本部員が代読し、祝辞を述べた。この後、おつとめを陽気に勤めた。あいさつに立った鈴木会長は、「教祖140年祭に向けて、先人たちが歩まれたように、教祖ひながたを心の頼りとして、たすけ一条の道を懸命に通らせていただき、ご存命の教祖にお喜びいただけるような私たちの成人を、今日の日にお誓い申したい」と決意を述べた。(嶽東大・新村社友), 【オンラインで『逸話篇』に学ぶ – 天理大おやさと研究所】「公開教学講座」動画を公開中天理大学おやさと研究所(井上昭洋所長)がオンラインで開催している「2022年度公開教学講座――信仰に生きる『逸話篇』に学ぶ(8)」が先ごろ終了。全6回のアーカイブ動画が現在、研究所のホームページに公開されている。◇教祖ご在世当時、道の先人たちは、教祖から直接聞いたお言葉をしっかりと心に治め、生涯、信仰を生きる”心の指針”とした。そうした教祖の逸話は、世代を超えて語り伝えられ、時々の教友の信仰の支えとなってきた。講座「信仰に生きる『逸話篇』に学ぶ」は、『稿本天理教教祖伝逸話篇』における教祖の逸話を手がかりとして、お道の信仰世界の一端を明らかにするもの。同シリーズは平成24年度に開始。今年度で8回目となる。現在、全6回の講座のアーカイブ動画を下記URLから視聴できる。https://www.tenri-u.ac.jp/oyaken/講師とテーマのラインアップは以下の通り。第1回 永尾教昭前所長 151「をびや許し」第2回 澤井真研究員 111「朝、起こされるのと」第3回 岡田正彦研究員 139「フラフを立てて」第4回 八木三郎研究員 108「登る道は幾筋も」第5回 森洋明研究員 119「遠方から子供が」第6回 堀内みどり主任 126「講社のめどに」, 【たすけ合う心を身につける – 視点】ケンブリッジ大学名誉教授で動物行動学の権威でもあるパトリック・ベイトソン氏は、人間の「本能」の代表的な意味として九つの定義を挙げている。たとえば「学習なしでも存在する性質」、あるいは「発生的に強靱で、経験からの影響を受けない性質」などの項目がある。作家の司馬遼太郎氏は、かつて小学6年生の国語の教科書に書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』という文章の中で、次のように子供たちに語りかける。「助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。『いたわり』『他人の痛みを感じること』『やさしさ』みな似たような言葉である。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである」と。これは、先の動物行動学者の本能の定義に矛盾するものではない。このたびの「諭達第四号」には、「一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている」とお示しくだされる。司馬氏によると、人が助け合うという気持ちや行動の元となる感情は本能ではなく、訓練(努力)によって身につけなければならないものだという。確かな根拠はないが、おそらく、そういう要素はあると思える。教祖は「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』4「一粒万倍にして返す」)と仰せくださる。人の痛みや苦しみは決して想像で推し量れるものではない、ということであろう。司馬氏の言う「訓練」という言葉を連想する。望まぬことではあるが、この旬にお見せいただく身上・事情は「難儀なる者の味」が分かるという点において、教祖のお心に、わずかなりとも近づかせていただく尊い歩みではないかと思案させていただく。(橋本)