天理時報2023年1月25日号1面
【最後の御苦労――真心を尽くしてお仕えし – おやのぬくみ】明治19年2月18日(陰暦正月15日)、心勇組の信者が大勢お屋敷へ参詣に来て、十二下りを勤めたいと願い出た。目下、警察の厳しい取り締まりがあるからと、お屋敷では申し出を断ったが、上村吉三郎講元ら一部の者が、勇みきった勢いの赴くまま、門前にあった村田長平宅の2階で、てをどりを始めた。これを探知した櫟本分署から、数名の巡査がただちにやって来て、居合わせた人々を解散させた。さらに、その足でお屋敷へ踏み込み、門を閉めさせたうえで、お居間の戸棚や箪笥の中を取り調べた。すると、お守りにする布片に字を書いたものが出てきたことから、これを証拠として、教祖と眞之亮様ほか二人を櫟本分署へ引致。このとき、教祖の外孫・梶本ひさが、御年89歳の教祖の付き添いとして同行した。取り調べはその日の夜更け、午前2時ごろから順に行われ、教祖と眞之亮様、ひさは分署の取調所の板の間で夜を明かされた。その後、眞之亮様は一晩で保釈されたが、教祖には12日間の拘留が申し渡された。これが、教祖の最後の御苦労となった。教祖は分署におられる間、赤衣を着せるから人が集まるのだという警察の言い立てにより、赤衣の上に、差し入れの黒紋付の綿入れを召しておられた。夜、お休みになるときはそれを被り、ご自分の履き物にひさの帯を巻きつけたものを枕とされた。そして、朝お目覚めになって手水を済まされてからは、一日中、姿勢を崩さず座っておられたという。食事は、分署から支給されるものは何一つ召し上がらず、北へ300メートルほどの所にあった梶本家から、鉄瓶に入れて運んだ白湯のみを差し上げた。「差し入れの白湯の鉄瓶」教祖の御身を気づかい、先人らは朝昼晩欠かさず、白湯を鉄瓶に入れて差し入れた当時、梶本家には清水与之助、増野正兵衞、梅谷四郎兵衞らが始終詰めており、ひさに毎日、弁当と湯呑み、白湯入りの鉄瓶を差し入れた。ひさの話では、いつも弁当の中に鉛筆と紙切れが入れてあり、その日その日の教祖のご様子を記したものを、空の弁当箱の中に入れて返していたという。梶本家跡(現・天理教元鍛冶講)に残る古井戸。ここで汲んだ水を沸かして櫟本分署へ届けたと伝えられるこの冬は30年来の寒さで、雪が多く降ったと伝えられる。分署の硝子戸の隙間から身を切るような風が吹き込むなか、教祖は何を見ても聞いても少しも気になさらず、平生とお変わりなくお通りになった。◇教祖は、度重なる拘引や留置に際して、いつもいそいそと出かけられた。そして、眼前の出来事の根底にある親神様の思召を説き諭し、心を倒しがちな人々の心を励まして通られた。最後の御苦労にまつわる希少な品は、どんな中も教祖に真心を尽くしてお仕えし、節から芽を出す思案を重ねた先人の心の軌跡を物語っている。