天理時報2022年5月25日号6面
【この国を救った「一番槍」の精神 – 日本史コンシェルジュ】1905年5月27日から28日にかけて、日本の命運を決める一戦が繰り広げられました。日本海海戦。大国ロシアに日本は挑み、陸軍は勝利を重ねましたが、もし海軍が敗れれば、補給路を断たれた陸軍も壊滅、おそらく日本は独立を失っていたでしょう。この戦いで歴史的大勝利を収め、名将と謳われたのが東郷平八郎です。後年、東郷は、ある人物の子孫を自宅に招き、感謝の言葉を述べたといいます。その人物とは、幕臣・小栗上野介忠順。「この勝利は、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげ」。それが東郷の思いだったのです。1860年、徳川幕府は日米修好通商条約の批准書の交換のため米国に使節団を派遣しました。その要となる監査役を務めた忠順は、先進国と植民地の両方を見て、日本の独立を守る道を模索しました。彼の導いた結論は「西洋諸国と貿易をして経済力を高めながら、科学技術を磨き、列強と互角に渡り合えるだけの軍事力を身につける」というもの。彼が帰国後に着手、あるいは意見を提案した分野は、造船・鉄道・ガス灯・電信などの技術から、政治や経済の仕組みまで多岐にわたりますが、なかでも最も力を注いだのは、横須賀造船所の建設でした。「莫大な費用をかけて造船所を造っても、完成したころには幕府がどうなっているか分からない」と反対する者に、忠順は「幕府の運命に限りはあるとも、日本の運命には限りがない。幕府のしたことが長く日本のためになるのであれば、徳川家の名誉ではないか」と答えたそうです。大政奉還後、明治政府軍と幕府軍の間で武力衝突が起こると、忠順は徹底抗戦を主張。しかし、それは将軍・徳川慶喜に受け入れられず、忠順は幕府の職を解かれます。先祖代々の知行地・権田村(現在の群馬県高崎市)に移り住んだ忠順は、田畑を耕しながら用水路を築いたり、若者の教育に打ち込んだりと、村のために尽くしました。けれども、その穏やかで充実した日々は突如、終わりを告げます。新政府軍に捕らえられ、打ち首にされたのです。忠順の実力を、新政府軍が極度に恐れたからだといわれています。かつて徳川家康に仕えた小栗忠政が「また一番槍は忠政か」と家康を感嘆させて以来、小栗家の当主は代々「又一」を名乗ってきました。激動の時代に、先陣を切って世界へ飛び出した忠順も、「又一」の名に恥じない、まさに「一番槍」の精神を貫いて、この国を危機から救ったのです。白駒妃登美(Shirakoma Hitomi), 【教えを胸に社会貢献 – 春の叙勲・褒章】国家や公共への功労や、各分野での優れた行いに対し贈られる恒例の春の叙勲・褒章が、先ごろ発表された。お道の教えを胸に、長年にわたって地域社会に尽くしてきた教内の受章者を紹介する。少年の”心の皺”を伸ばして瑞宝双光章鳥取の小松原幹夫さん小松原幹夫さん(84歳・成実分教会前会長・米子市)は先ごろ、34年間にわたって教誨師を務めた功労から「瑞宝双光章」を受章した。昭和63年、市内の少年院「美保学園」から教誨師の委嘱を受けた。以来34年間、月1回の面接と2カ月に一度の講話を行い、対象者の更生に尽くしてきた。平成24年から28年まで、鳥取県教誨師連盟副会長と「美保学園」教誨師会長を兼任。21年に「藍綬褒章」、25年に「日本宗教連盟理事長表彰」を受けたほか、昨年は、長年にわたる教誨師としての活動が認められ、上川陽子・法務大臣(当時)から感謝状を贈られた。小松原さんは「少年らの”心の皺”を少しでも伸ばすことを心につとめてきた。この年まで御用をつとめさせていただけたことを、親神様・教祖に感謝したい」と話した。(鳥取・林原社友情報提供)”澄んだ心”で少年に向き合う瑞宝双光章岩手の中田俊次さん中田俊次さん(84歳・花巻分教会前会長・花巻市)は、長年にわたり教誨師として矯正教育に尽力した功績から「瑞宝双光章」を受章した。昭和57年、盛岡少年刑務所と盛岡少年院から委嘱を受けた。以来40年にわたって、月1回の講話や個人教誨などを通じて少年らの更生に努めてきた。また、平成19年には「藍綬褒章」を受章した。活動を続けるなか、少年らの”心の泥”を洗い出すには、まず自分自身が”澄んだ水”にならなければならないと悟ったという中田さん。「少年が非行や犯罪に走る原因は、家庭内の問題によるものがほとんど。これからは、少年たちの周囲にいる大人たちの心も澄ましていけるように、力を尽くしていきたい」と話した。(岩手・中田社友情報提供)ひながたを胸に更生保護に努め瑞宝双光章 大阪の野々村孝雄さん野々村孝雄さん(72歳・玉造分教会長・東大阪市)は、保護司として長年にわたり更生保護活動に尽力した功績を称えられ、「瑞宝双光章」を受章した。平成2年に保護司を委嘱されて以来、対象者一人ひとりに寄り添うことを心がけ、罪を犯した青少年から高齢者たちの自立・更生に尽力してきた。これまでに60人以上と向き合う中で、ご存命の教祖を身近に感じることがたびたびあったという。現在、東大阪地区保護司会の理事を務める傍ら、地域の小・中学校で精力的に啓発活動に取り組んでいる。また、24年には「法務大臣表彰」を受けた。野々村さんは「これからも教祖のひながたを胸に、対象者たちの心に寄り添っていきたい」と語った。(大阪・山下社友情報提供)顧客と社会のニーズに寄り添い黄綬褒章兵庫の世登道徳さん世登道徳さん(65歳・竹野南分教会役員・養父市)は、葬祭業を長年営んだ功績と、市商工会長として地域に貢献した功労から「黄綬褒章」を受章した。35年前、人の役に立つ仕事をしたいとの思いから葬祭業をスタート。経営の難しさに苦労しながらも、教友らの助けを借りつつ、顧客のニーズに寄り添うサービスを心がけることで、地域の信頼を得、実績を積み重ねた。令和元年からは養父市商工会会長に就任。「少しでも地域へ恩返しを」との思いから、夏祭りなどのイベントを企画するなど、地域振興にも努めてきた。世登さんは「これからも親神様にお喜びいただけるよう、地域の方々に役立つ仕事を末永く続けていきたい」と語った。(兵庫・世登社友情報提供)