天理時報2022年4月20日号6面
お道の精神で世のため人のため教誨活動に感謝状佐賀の田中康温さん田中康温さん(74歳・筑後川分教会長・佐賀市)は先ごろ、長年にわたる矯正施設での宗教教誨活動の功績を称えられ、古川禎久法務大臣から感謝状を贈られた。田中さんは前任者の推薦で平成13年に教誨師を委嘱された。以来、22年間にわたり佐賀少年刑務所へ赴き、月1回の面接と講話を通じて対象者の更生に努めてきた。また、昨年から佐賀県教諭師連盟の副会長を務めている。このほか、平成16年には佐賀少年刑務所から感謝状を受けた。田中さんは「講話や面接では、対象者自ら幸せや親のありがたさに気づいてもらえたらとの思いで、神様から自由に使わせていただいている心を入れ替えるよう促すとともに、お道の教えを胸に置いて向き合ってきた。これからも、対象者の〝心の入れ替えを手助けしていきたい」と話している。(佐賀・宮崎社友情報提供)叙勲消防士として尽力瑞宝単光章故・戸坂正和さん昨年11月6日に出直した戸坂正和さん(享年63歳・名阪分教会名豊布教所長後継者・兵庫県猪名川町)は、長年にわたり消防士として尽力した功績が認められ、「瑞宝単光章」をこのほど受章した。昭和57年、兵庫県川西市の消防署に配属。以後、36年にわたり、県内の消防や救助の現場で懸命に働いた。また、平成9年には救急救命士の資格を取得し、救急搬送の現場でも活躍した。母の和子さん(90歳・同布教所長)は「息子は昔から困っている人がいたら放っておけない性格で、人のために尽くす姿を見てきた。教祖の親心のおかげで、このたび思いもかけない、ありがたい章を頂いたと感じている」と話した。読者のひろば〝天理野球〟の精神伝えて高松祐次郎(38歳・山口県宇部市)現在、山口県内の高校で硬式野球部の指導者を務めている。そんななか、先日『天理時報』に掲載された、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの藤本博史・新監督のインタビュー記事が目に留まった。記事では、天理高校野球部時代の思い出や、指導者としてのエピソードが詳しく紹介されていた。記事を読み終え、あらためて〝天理野球”の素晴らしさを感じるとともに、自身の指導者としてのありようを顧みた。また、天理野球の精神を教え子に伝えたいという思いが高まり、普段から人にしっかりとあいさつすること、練習中にはポジティブな言葉を使うことなどを指導するようになった。実は、信仰初代の私が天理教を知ったきっかけは天理野球にある。野球に夢中になっていた少年時代、甲子園で活躍する天理高の選手たちを、テレビ画面越しに応援していた。守備の場面で仲間のカバーに全力で走る姿、たとえ凡打に終わっても全力疾走で走塁する姿に心奪われ、すぐに天理ファンになった。その後、大学在学中に教会長子弟である妻と出会い、ようぼくの仲間入りを果たすと、彼らの強さの背景に、たすけ合いや一手一つといったお道の教えがあることを知り、ますます天理野球の魅力に引き込まれた。先日、学校のある先生が「野球部員の一人が、自ら進んで荷物運びを手伝ってくれた」と、お礼を言ってくださった。教え子たちにも、天理野球の精神の一端が伝わったのかもしれないと思い、うれしい気持ちになった。今春のセンバツ大会では、天理は初戦で惜しくも敗れたが、素晴らしい試合を見せてくれた。これからも天理野球を応援しつつ、わが校の野球部員の成長を見守っていきたい。QRコードから藤本監督の過去記事をご覧いただけますよろずの美の葉作家澤田瞳子いつか未来の人々に新型コロナ感染症との生活も、3度目の春を迎えた。流行開始当初、「感染収束には2、3年かかる」との報道を見たときはまさかと思ったが、それが本当になってしまった。いまだ日々闘いを続けていらっしゃる医療従事者の方々には、どれだけ感謝しても足りない。この間、さまざまな歴史上の感染症流行についての話題が取り沙汰されたが、なかでも注目されたのは、やはり大正7年(1918)から足掛け4年にわたって世界を覆い尽くしたスペイン風邪だろう。風邪と名付けられているが、これはインフルエンザの大流行で、世界人口の4分の1から3分の1が罹患、死者数は日本だけで4万人前後というから大変な被害である。この中には当然、歴史に名を残した人物も含まれており、たとえば作家の芥川龍之介は大正7年11月と翌年2月の2度、スペイン風邪に罹患している。1度目の際はかなりひどい病状だったらしく、辞世の句まで詠んでいるほどだ。ただ、そんな中でも「ちょいとでも無理をしちゃ駄目ですよ。忽ち猛烈にぶり返します。私も起きて一回原稿を書いたんでひどい目にあつたのです」と薄田泣菫宛の手紙に記している点は、現代人にも共通する多忙ぶりを感じさせる。芥川の友人である菊池寛は、スペイン風邪流行期の己の姿を、大正9年に発表した「マスク」という短編に記している。それによれば医者に心臓が悪いと告げられていた菊池は、自分はもちろん妻や女中にも外出を控えさせ、どうしても出かけねばならぬときはうがいとマスク着用を徹底した。風邪が治ったばかりで咳をしている客人を迎えた時や報じられる死者数の増減に一喜一憂したとの記述には、思わずうなずかされるものがある。菊池は感染者が減少し、人々がマスクを外し始めても頑固に同じ格好を続けるが、さすがに季節が夏に差しかかると暑さを口実にそれを外す。だがその直後、外出先でまだマスクをしている男を見かけるとその姿に不快感を抱き、そんな己を「自分が世間や時候の手前、やり兼ねて居ることを、此の青年は勇敢にやって居るのだと思った。此の男を不快に感じたのは、此の男のそうした勇気に、迫された心持では」と顧みる。それにしても我々が今、芥川や菊池の体験を身近に感じるのは、世界が新型コロナ感染症に塗りつぶされていればこそ。ならば我々のこの数年間も、いつか未来の人々に親近感をもって読み解かれるのだろうか。どうかそんな時が来ず、すべてが過去の出来事として扱われますように、と切に願う。