天理時報2022年4月13日号8面
おやさと瑞穂の記新連載その①ご恩報じの心〟集めたお米づくりおやしきの北東には、教祖のご在世当時の風景を彷彿させる豊かな田園風景が広がっている。ここでは毎年、親神様にお供えするお米が昔ながらの方法で栽培されている。この新連載では、一年を通して、おぢばのお米づくりの様子を紹介していく。教会本部管財部の森本孝一さん(54歳)は、ここで30年以上にわたってお米づくりに携わっている。森本さんに、おぢばならではのお米づくりの特徴を聞いた。「まず、神様にお供えさせていただくお米を作っているので、殺虫剤や除草剤といった農薬を全く使用しない無農薬栽培です。特に除草剤は使っていないので、そのままにしておくと草がものすごく生えますが、生えないようにする工夫を凝らしています。また、これは、周辺地域の農家の皆さまのご理解があってこそ、できることでもあります」一般に無農薬栽培は、地域の農家とのトラブルが生じやすい面があるといわれるが、森本さんの長年にわたる地域との交流や貢献によって、これを実現させている。「二つ目の特徴は、神様にお供えさせていただくお米なので、自家製の堆肥を用いて、できる限り化学肥料は使わないようにしている点ですね」堆肥は、おやしきから出た調理くずを頂いて、神苑などの木の剪定で出た枝を粉砕して作った腐葉土、また天理よろづ相談所病院の残飯から作られた堆肥と混ぜて発酵、2年間熟成させたものを使用している。「三つ目の特徴は天日干しです。一般的な農家の方は、コンバインで刈り取りをして、刈り取ったお米をすぐに乾燥機にかけるのですが、こちらでは10日から2週間くらいかけて天日に干して、自然に乾かしています」神様にお供えしたお米が洗米にされた場合でも、割れてしまったりしないように、時間をかけてゆっくり乾燥させているのだ。そして、森本さんが一番の特徴として挙げたのは「現代の一般の農家ではあり得ないくらいの人手をお借りして、お米を作っていることです。昨年一年を通して、延べ数千人もの方々がひのきしんに来てくださいました。まさに、おぢばならではのお米づくりです」。森本さんがここで勤めるようになった当初、6反ほどの田んぼを一人で管理していたという。ある年、中山善衞・三代真柱様が直々にお宅の青年さんやお孫さんを連れて田植えや稲刈りに足を運んでくださるようになると、その後、専修科生、おやさとふしん青年会ひのきしん隊、直属教会の有志ひのきしん、天理小学校の児童、天理教語学院の海外留学生、最近では少年会おやさと団やしき隊や本部勤務者も参加するようになった。そのおかげで、管理する田んぼの面積も現在、1町3反(約1万千平米)まで拡張された。多くの人々のご恩報じの心〟を集めたお米づくりなのである。3月17日、おやさとふしん青年会ひのきしん隊が「苗代」づくりのための最初の作業を手伝った。おやさとのお米づくりは、4月16日に教会本部で「はえでづとめ」が勤められてのち、本格的にスタートする。(文=諸井道隆)30年以上にわたり、お米づくりに携わる森本さんおやしきの北東にある田んぼで、親神様にお供えするお米が作られている苗代に使用する燻炭と堆肥を混ぜる作業に勤しむ、おやさとふしん青年会ひのきしん隊。隊員は切りなどの作業も行った文芸連載小説ふたり【第2部】波のきらめきに/片山恭一画/リン前話のあらすじドイツ出身のビョーンさんは、町でサーフショップを営む。カンは子どもたちに波乗りを教えるとき、ビョーンさんの世話になっている。第9話自分の居場所を探してサーフィンを習うといっても、水に入っているのはせいぜい二時間くらいだ。あまり長くやると疲れるし、集中力も途切れてしまう。子どもたちのなかには、最初は海に入るのを嫌がる子もいる。とくに春先は海の水もまだ冷たい。親に連れられてしぶしぶやって来た子などは、まるで面白くなさそうな顔をしている。そんなときカンは一人で海に入り、ボードで遊びはじめる。彼がサーフィンを気に入っているのは、面倒なルールがないせいかもしれない。海と自分のあいだには板切れが一つあるだけだ。あとは好きにしていい。誰から文句を言われることもなく、自由に波と戯れることができる。しかし波には波の都合があって、なかなか思いどおりにはいかない。そこが面白いらしいのだが、犬のわたしには理解できない心境だ。子どもも人間の一員だから、やはり面白いと思うらしい。浜辺でぐずぐずしていた子も、楽しそうに波と戯れているカンを見ているうちに、その気になるようだ。頃合いを見て誘うと、おずおずと海に入ってくる。最初はカンも一緒にボードに乗る。つぎにボードの上に腹這いになって水を掻くことを教える。パドリングというらしい。そうやって子どもたちは、海と上手に付き合うことをおぼえていく。自分で水を掻いて好きなところへ行ってもいいし、疲れたらボードに跨って休んでいればいい。穏やかな波の上で揺れているのは、いかにも気持ちがよさそうだ。やがて子どもたちはボードの上に立とうとしはじめる。早い子はあっという間だ。むしろ付き添いの親たちのほうがもたもたしている。子どもたちが波乗りの真似事をはじめるころに、スクールの時間は終わりになる。彼らの顔に失望が広がる。もっとつづけたいのだ。でも今日はここまで。無理は禁物だ。またつぎに教えてあげる。海はなくならないし、ぼくはいつでもここにいるから。子どもたちは無口で物静かなカンになんとなく安心するのかもしれない。不服そうだった子も、最後は納得して帰っていく。ほとんどの子の顔が、来たときよりも少しだけ明るくなっている。ここには学校や家庭とは別の世界がある。そんなことを冷たい水の感触とともに、子どもたちは感じ取るのかもしれない。彼らが探しているのは自分の居場所なのだろう。それがあの子にはわかっている。カン自身が、かつてそうだったから。