天理時報2022年4月6日号4面
ヒューマンHUMANSPECIAL塾経営、映画制作、アスリート聞こえない世界〟からの挑戦3度目のデフリンピック出場早瀨憲太郎さん48歳・教会本部ようぼく・横浜市冬季北京パラリンピックの閉幕から2カ月後の来る5月、もう一つの国際的な〝障害者スポーツの祭典”が開かれる。生まれつき耳が聞こえない早瀨憲太郎さん(48歳・教会本部ようぼく・横浜市)は、5月1日から15日にかけて、ブラジルのカシアス・ド・スルで開催される聴覚障害者のための国際スポーツ競技大会「デフリンピック」の自転車競技に出場する。デフアスリートとしての活動のほか、学習塾の経営や映画制作など多方面で活躍している早瀬さん。聞こえない世界〟から飽くなき挑戦を続ける早瀨さんが目指す、社会の姿とは。”日本語の魅力”伝えたい早瀬さんは普段、横浜市内で自ら設立したろう者のための学習塾「早瀨道場」で国語を教えている。20年以上教育に携わってきたが、「少年時代は勉強嫌いだった」と振り返る。学習塾経営を志したきっかけは、母校・天理高校時代の“甘酸っぱい経験〟にあるという。天理市で生まれ育ち、天理高へ進学した早瀬さんは、ある日、後輩からラブレターをもらった。突然の出来事に驚く一方で、手紙に書かれた言葉の意味が理解できずに戸惑った。「私への思いを伝える文面にある『胸が痛いくらい』という表現を見たとき、彼女の胸が病気か何かで痛くて苦しいのではないかと勘違いをした」担任だった国語教師にどうすればいいかと尋ねると、「言葉には表の意味だけでなく、裏にも意味がある」と教えられ、目からうろこが落ちる思いがしたという。さらに、彼女に返事を書こうとした早瀬さんは家族に相談。「私もあなたのことが好きです」と書いた手紙を見せたところ、家族から「その表現はやめた「ほうがいい」と言われた。「耳の聞こえない人は、目で見て分かるように物事をストレートに表現することが多い。一方で、耳が聞こえる人は、場合によっては直接的な表現をあえて避けることがあると、初めて知った。聞こえない人と聞こえる人の心理や表現方法の違いを、お互いが理解し合うことが大切だと感じた」以来、日本語の魅力に引き込まれていった。一念発起し、国語教師を目指して大学へ進学。1998年、念願だった学習塾「早瀨道場」を開校。ろう者に日本語の美しさを伝えようと、教壇に立っている。「音声の日本語はろう者の耳に入ってこないので、代わりに目で見て学ぶことになる。ろう者が日本語を覚えるのは大変だが、私は、そのハンディを克服するために教えるのではなく、日本語の魅力や面白さを味わう世界へ彼らを誘えるよう頑張っていきたい」ろう児に誇りを持たせたい映画監督としての顔も併せ持つ早瀬さん。映像制作を始めたきっかけは、教育の場面で活用できるろう児向けの映像教材が少ないと感じたことにある。「ろう児が楽しみながら学べる映像を作りたい」と自ら脚本を書き、撮影・編集もこなしてビデオ教材を作成するように。やがて、子供たちの要望に応えて手話ドラマを制作するなど作品の幅を広げると、2005年、ろう者の映画制作グループと共同で手がけた映画『迂路』が、カナダ・トロントのろう映画祭でグランプリを受賞した。「ろうの子供たちに、映画を通じてろうの先輩が活躍する姿を見せることで、ろう者として誇りを持って自らの人生を切り開く力を身につけてほしい」と語る。こうした思いから翌年、全日本ろうあ連盟に創立60周年記念映画の制作を打診。ろう者が中心となる初の劇場映画の制作にチャレンジすることになった。早瀬さんは、東京2020パラリンピックの期間中、NHK総合「あさナビ」に連日出演し、障害者スポーツの魅力を伝えた塾経営、映画制作、自転車競技など多方面で活躍する早瀬さん