天理時報2022年4月6日号6面
TenriQRMusic紙上コンサート、親里で開催された演奏会を、記事とともに、QRコードから視聴できる動画を紹介するコーナー[TenriQRMusic〝紙上コンサート〟」。第3回は、3月に参考館で行われた、「ガムラン・クラシックギターコンサ-ト―音色で巡る世界の旅7」の演奏をお届けする。〝神秘的な音色、響かせ天理参考館「ガムラン・クラシックギターコンサート」天理参考館が主催するワークショップ「バリガムラン体験講座」と「クラシックギター講座」では、3月13日に「ガムラン・クラシックギターコンサート―音色で巡る世界の旅7」を、同館1階エントランスホールで開催した。これは、同ワークショップの受講者が日ごろの練習成果を発表するもの。今回は、新型コロナウイルスの影響でワークショップの中断を余儀なくされたことから、3年ぶりの実施となった。当日は、「クラシックギター講座」のメンバーによる演奏で幕開け。続いて「バリガムラン体験「講座」のメンバーによる演奏が行われた。ガムランとは、青銅の鍵盤楽器と銅鑼の打楽器で構成される、インドネシア・バリ島の民族音楽。基本的に楽譜がなく、規則性のある旋律を波打つように繰り返す曲調が特徴だ。現在、ガムラン楽器を所蔵している博物館は、全国でおよそ10カ所。なかでも参考館は、2002年からガムラン楽器の独特の音色を多くの人たちに知ってもらおうと、所蔵品のガムラン楽器を実際に使用したワークショップを定期的に開いてきた。バリ島の色鮮やかな民族衣装に身を包んだ講師と受講者は、オープニングにガムラン音楽のパレード曲『バレガンジュール』を披露。続いてガムラン音楽4曲を奏でた。その一つ、バリ島のわらべ歌『ダドン・ダウ』では、2種類のメロディーを異なる奏者が弾き、一つのメロディーにする「コテカン」という手法で、子供に歌い聞かせるような穏やかな音色を表現。最後は『ギラップヌトゥップ』という閉会の曲で終演した。聴衆はガムラン楽器が織りなす〝神秘的な音色〟に聴き入っていた。講師の稲葉さやかさん(48歳)は「コロナ禍による制限でモチベーションの維持が難しかったが、こうしてお客さまの前で演奏する機会を頂き、感謝の気持ちでいっぱい。これからも、受講メンバーと共にガムラン音楽の素晴らしさを伝えていきたい」と話した。QRコードから、バリガムランで奏でる『ダドン・ダウ』の演奏動画を視聴できます。読者のひろばごみ集積所の清掃から思わぬ展開に秦孝志(87歳・茨城県稲敷市)30年ほど前から、いつも利用しているごみ集積所の清掃ひのきしんを続けている。50歳のときに大腸がんを患い、鮮やかなご守護を頂いた。その数年後から、ご恩報じのひのきしんとして、この清掃活動を始めた。そんななか、いつものように集積所を掃除していて、ふと隣の空き地が気になった。雑草に覆われ、長い間、放置されている様子。そこで、何か自分にできることはないかと土地の所有者に相談したところ、地域の方に喜んでもらえるならと、空き地に花壇を作ることを許していただいた。花壇作りは、生い茂った雑草を刈り取るところから始めた。ある日、一人で作業していると、近所の人に声をかけられた。花壇の話をしたところ、協力を申し出てくださった。時折、作業を手伝ってもらうなか、この活動が地域で導噂になったのか、たくさんの協力者者が現れた。そのおかげで先日、花花壇の土作りを終えることができた。現在は、協力者から提供された花の苗を植え、皆で開花を楽しみにしている。地域でのささやかなひのきしん活動だったが、振り返れば、神様の応援があったからこそ、ここまで多くの方が協力してくださったのだと思えてならない。これからも、長年続けてきたひのきしんはもとより、花壇の完成を目指して励みたい。新連載#信仰エッセー成人へのビジョン三寸五分へ僕はもう、どこにも入学することがありません。卒業することも。息子と娘にはこれから先、いくつもの入学と卒業が控えています。ある課程を終え、次のステージへと進む。その都度、教科書も、先生も級友も、服装も建物も通学路も、すべて一新される。そこでまた新しい学びが始まる。僕には、もうそれがありません。「布教の家」時代、亡き恩師は「われわれはいったん卒業しなきゃいけない。いまの信仰を。小学校でも7年生はないよ。新しくなるには、いったん卒業するんだ。そして初めて中学生になれる。さあ、われわれはいったい何を卒業するんだろう」と繰り返し問いかけられました。「元の理でも、三寸まで成人すると皆、出直すでしょう。そうして、また五分五分と成人して初めて三寸五分までいける。ここにいる皆は、いったん出直して三寸五分の信仰を目指そう」いったい何を卒業するのか、新たにどんな道に入るのか。恩師の言葉は、不思議な魅力をもって今も心にこだまします。威張った小学7年生は困りものです。そうなれば「ねんげんたつほど、かれるばかり、くさるばかり」(諸井政一『正文遺韻抄』)でしょう。一般に、身体や知能はある段階まで年齢とともに成長しますが、「こゝろのみち」(同書)にもたとえられる信仰は、そうではなさそうです。僕は無事に進学して新入生になれたのか、それとも小学7年生なのだろうか思うに、新鮮な心持ちは〝新入生〟に共通する心境ではないでしょうか。実際の進学とは異なり、心の道では人物や建物に変わりはありませんが、その馴じみの人々や物事と再び出会い直すのです。見えるまま、聞こえるままの世界に変わりはなくとも、心に映る世界が変わる。世界が新たな表情を見せる。それは無形だけれど、確かに存在する〝心の進路〟なのでしょう。重そうなランドセルを背負い、手を挙げ横断歩道を渡る子供の姿を見ると、僕は無性に応援したい気持ちになります。この春、僕も三寸五分へ。かに・よしたか1983年生まれ。3児の父。エッセー「旅「寝言」を教会ホームページで連載。早朝の読書と寝る前に子供と観るアニメが至福の時間。河西分教会長後継者イラストかにたづこ