天理時報2022年3月9日号1面
逸話の季ITSUWANOTOKI早春の訪れ告げる菜の花畑天理市竹之内町の菜の花畑が見ごろを迎えている。これは、天理高校農事部の生徒らが昨秋に種をまき、丹精したもの。いまだ冷たい風に揺れる黄色い可憐な花々が、親里への早春の訪れを告げている。(この写真をプレゼントします。詳細は4面広告欄で)”天に届く”生き方を3月になりました。里山のあちこちに、春の訪れを感じます。先日も山道を散策していて、久しぶりにウグイスの鳴き声を聞きました。美しく澄んだ声が、青い空に吸い込まれていきます。また新しい季節が巡ってきたようです。厳寒の冬が過ぎれば、必ず暖かい春が訪れます。そして色鮮やかな花が咲き、新緑が地を満たします。あまり明るいニュースが届かない昨今ですが、穏やかな春の日和は、もうすぐそこまで来ています。明治17年3月24日(陰暦2月27日)から4月5日(陰暦3月10日)まで、教祖は、奈良監獄署へ御苦労くださいました。このとき同行した鴻田忠三郎は、獄吏から便所掃除を命じられます。忠三郎が掃除を終えると、教祖は「どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなぁ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで」と、諭されました。過ぎし人生の節目を振り返ったとき、最も心に響く逸話の一つです。還暦の年を迎えてから、妻が古いアルバムを開く時間が長くなりました。懐かしそうに見ている写真には、過去のさまざまな出来事が記録されています。家族や教会の方々、仕事先の人々と共に生きてきた日々の中で、私の心はどのように天に届いてきたのでしょうか。〝不足”の理ではな〝結構〟の理が届く日もあったでしょうか。こう考えて人生を振り返ると、反省すべきことばかり思い浮かびます。親神様からご覧になった自分の姿は、言葉や態度や立場でごまかすことはできません。その時々の「心」は、表面上はうまく取り繕えても、そのまま天に届いています。とはいえ、自分の心の向きを変えられるのは自分だけです。過去を振り返って反省するばかりでなく、むしろ今日から、天空に響く鳥の声のように、結構の理が〝天に届く”生き方を求めていきたいものです。文=岡田正彦