天理時報2021年7月25日号6面
物部氏ゆかりの出土品一堂に天理参考館9/6まで天理参考館(春野享館長)は現在、第87回企画展「物部氏の古墳杣之内古墳群」を開催中(天理市教育委員会と共催)。今展では、同館と市教育委員会が共同で、大小さまざまな古墳からなる杣之内古墳群の出土品を一堂に展示している。ツルクビ第1号墳馬形埴輪古墳時代(埋蔵文化財天理教調査団所蔵)峯塚古墳葺石古墳時代(天理大学考古学・民俗学研究室所蔵)小墓古墳家形埴輪古墳時代(天理市教育委員会所蔵)西山古墳外堤朝顏形埴輪古墳時代(埋蔵文化財天理教調査団所蔵)塚穴山古墳土人形中世(天理参考館所蔵)右記QRコードから、同展の見所をまとめた映像を視聴できます。待望の直木賞受賞澤田瞳子氏4年前の平成22年から、本紙にエッセー「よろずの美の葉」を執筆くださっている作家の澤田瞳子氏が、このたび第16回直木賞を受賞されました。誠におめでとうございます。ここでは、受賞直後に澤田氏から頂戴した、『天理時報』読者へのメッセージを紹介します。『天理時報』読者の方々へこのたび、拙著『星落ちて、お』が第16回直木三十五賞を頂戴することになりました。4回の落選を経て、5回目での受賞です。その回数の多さに長らくやきもきしてくださった方も多いのでは、と思っています。顧みれば「よろずの美の葉」の連載は、6年前に初めて直木賞候補となった拙著『若沖』をお読みくださった記者さんのお声がけでスタートしたものでした。そういう意味で『天理時報』での連載は、わたしの直木賞挑戦歴とほぼ軌を一にしており、こうやって読者の方々に晴れて受賞のご報告ができることに安堵しております。とはいえ小説家にとって、賞はゴールではなく、あくまで通過点にすぎません。これからも、これまで同様―――いえむしろ、ますます気を引き締めて執筆せねばと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。よろずの美の葉一度は書いてみたいと憧れるものの作家澤田瞳子SawadaTokoこのコロナ禍のためにあまり知られていないが、今年は聖徳太子の1千回忌である。そのため奈良・東京の両国立博物館では「聖徳太子と法隆寺」展が開催され、国宝・薬師如来像や聖徳太子像が出陳されるほか、太子ゆかりの寺々でも盛んに法要が行われている。どんなに歴史が嫌いな方でも、これだけはご存じと思われるほど聖徳太子は有名人だ。もちろん戦国武将として名高い織田信長、江戸幕府を開いた徳川家康など、日本史上の著名人は太子以外に幾人もいる。ただ「母親が厩を通りかかったときに生まれた」という誕生エピソードから、「太子の死をに非凡すぎる。一度に10人の話を聞いた聡明さ、幼いころから仏教を深く尊んだ敬虔さ、14歳の若さで蘇我氏・物部氏の戦に加わった勇敢さ、どれを取っても偉大なる聖徳太子像を形作らぬものはなく、そんな彼を確かに生きた「人間」として描くのは極めて困難なのだ。ならば聖徳太子にはまったく人らしい側面がなかったのかといえば、さにあらず。たとえば彼には4人の妃がいたと考えられているが、なかでも最も寵愛が深かったのは、膳妃なる女性。彼女は病に倒れた太子を看病するうちに同じ病に罹患したのか、太子の死の前日に亡くなっている。他の妃た悲しんだ妃が、極楽の様を刺繍した天寿国繡帳を作らせた」という死没後の逸話まで、生涯のほとんどがこれほど人口に膾炙している人物は稀である。歴史小説家の立場からすれば、正直、一度は書いてみたいと憧れるものの、非常に厄介なエベレストのような相手である。有名人なら小説に描きやすいのでは?と思われるかもしれないが、その生涯が一般に知られているとはすなわち、当該人物のイメージが世に広まっていることと同義である。それを物語で覆すのは非常に難しいうえ、太子の場合、伝わっている逸話がどれもあまりちが、当時、絶大な権力を有していた大臣・蘇我馬子の娘や、推古天皇の娘や孫だったのに対し、太子との間に四男四女を設けた膳妃だけは、一般豪族の娘。政略結婚が中心の時代にあって、彼女のみは政治とは無縁に迎えられた妃と推測でき、太子と膳妃の間にあったであろう情愛が偲ばれる。歴史小説を書く楽しみは、史料の中から生きた人物を蘇らせ、らと対話をすることだ。いつか太子を正面から描くうえで、膳妃の存在は大きな突破口になるかもしれない。そんなことを考えながら、私はもはや残り半分となった大遠忌の年を過ごしている。