天理時報2022年9月28日号6面
【海を越え命救った甘藷 – 日本史コンシェルジュ】薩摩(現在の鹿児島県)から日本中へ普及した「サツマイモ」。天候不順に強く、栄養価に優れ、保存もきくので、江戸時代から近現代に至るまで、人々を飢えから救う貴重な食糧源となりました。実は、サツマイモを中国大陸から琉球(現在の沖縄県)にもたらした人物がいるのです。その人の名は、野國總管。總管とは、琉球王国から中国(当時の国名は明)に要人を派遣する船の事務長のこと。彼は野国村(現在の嘉手納町野国)の出身なので、「野國總管」と呼ばれるようになりました。台風や夏の日照りで田畑が荒れ、飢えて亡くなる人が絶えなかった16世紀の琉球。貧しい農家に生まれた野國總管は、「飢饉から人々を救うため、学問を究めたい」と志を抱きます。少年の思いに胸を打たれた野国村の村長は、彼を首里城下の村の領主の元へ「御殿奉公」に出しました。御殿奉公ができれば、働きながら読み書きそろばんを覚えられ、働きによっては役人への道も開かれるのです。やがて領主の信頼を得た野國總管は、明との貿易の拠点・久米村(現在の那覇市久米)で船の往来に重要な水先案内人の職に就きます。そこで中国語が格段に上達した彼に、大きなチャンスが巡ってきます。琉球国王から明の皇帝に使節を派遣することとなり、その船の「總管」に抜擢されたのです。1604年11月、野國總管は明へ渡り、福州に上陸しました。琉球国王の使節が北京まで半年かけて往復する間、野國總管は福州に留まって農村部を歩き、村を豊かにする方法を探りました。「これだ! この作物こそ村を救う食材になる」。蒸かした甘藷(サツマイモ)を農夫からもらった野國總管は確信しました。その甘さは驚きに値するものでした。さらに甘藷は根が太ったもので、やせた土地でも豊かに実ることを知って確信を深めた彼は、甘藷の栽培方法や保存方法など、あらゆる情報を収集しました。あとは甘藷を持ち帰るだけ。しかし、ここで大変な困難が待ち受けていました。明にとっても貴重な作物である甘藷は、海外への持ち出しが禁止されていたのです。この困難な事態を、野國總管は、甘藷を盆栽と見せかけることで乗り越えました。やがて琉球に根づいた甘藷は薩摩に伝わり、「サツマイモ」として全国に広がっていきました。秋の味覚・サツマイモには、先人の決死の覚悟が宿っているのです。白駒妃登美, 【パニック障害の身上は“神様からのプレゼント” – 修養科の四季】第970期 バシュール紗織さん 30歳・フランス・黎明分教会所属6年前、フランス人の夫と結婚して間もないころ「パニック障害」と診断されました。いつ発作が起こるか分からず、薬を服用しながら生活していました。そんななか一昨年、夫の転職を機にフランスへ移住することに。慣れない土地や言語に苦しむなか、追い打ちをかけるように新型コロナウイルスに感染。軽症で済んだものの、自粛生活で精神的に弱ってしまい、これまで経験したことがない大きな発作に見舞われたのです。以来、「生きているのがつらい」と思うほど追い詰められ、涙を流す日が続きました。そんなある日、ふと頭に浮かんだのが修養科でした。早速、夫に相談するも、未信仰の彼の理解は得られず、自宅近くのヨーロッパ出張所へ通うように。出張所では、所長さん夫妻をはじめ多くの教友の皆さんが温かく迎えてくださいました。その後も出張所へ足を運ぶ中で、心身ともに次第に元気になっていく私の姿を見た夫が、「紗織が元気になるのなら」と、修養科に入ることを認めてくれたのです。「人たすけたらわがみたすかる」を体感身上を抱える仲間に、おさづけを取り次ぐ身上をご守護いただきたいと、3歳の娘を連れて志願しましたが、環境の変化や慣れない集団生活からか、症状が悪化。発作が起こりそうになるたびに、周りの人におさづけを取り次いでもらいました。2カ月目のある日、詰所での夕づとめの際に発作に見舞われました。逃げ出したい気持ちと葛藤しながら、なんとか最後まで勤めましたが、苦しさで涙が止まりませんでした。夕づとめ後、身上者におさづけを取り次ぐ時間が設けられていました。私は取り次いでもらうばかりでしたが、この日はなぜか「苦しいときこそ人さまのたすかりを願わせていただこう」と思ったのです。そして、仲間のたすかりを願い、おさづけを取り次いだところ、私自身の発作の症状が不思議と消えていったのです。「人たすけたらわがみたすかる」の教えを体感した瞬間でした。以来、自らの身上のことばかり考えるのではなく、人のたすかりを願おうと、身上を抱えた人に積極的におさづけを取り次がせていただくようになりました。すると頻繁にあった発作の回数が減り、3カ月目にはほとんど起きないようになったのです。当初は「パニック障害をたすけていただきたい」と志願した修養科でしたが、3カ月間の親里での生活を通じて、「この身上は神様が私に下さった“プレゼント”なんだ」と思えるようになりました。いまも時折、発作が起こることがありますが、これも、同じ身上を抱える方に寄り添えるようにという神様の思召と受けとめています。◇修了後、夫がおぢば帰りをして別席を運び、ようぼくの仲間入りを果たしました。フランスの自宅で発作が起きたときは、夫がおさづけを取り次いでくれています。現在、働きながら時間を見つけてはヨーロッパ出張所でひのきしんをさせていただいています。これからも修養科での学びを忘れず、明るく勇んで通らせていただきたいと思います。