天理時報2021年5月2日号1面
教史再彩“道のさきがけ”を今にモノクロームの教史の1シーンが、AIによって今によみがえる。その彩色された世界から見えてくるものは—。「ひのきしんデー」の元一日およそ90年前の昭和7(1932)年5月18日、初の「ひのきしんデー」が全国一斉に実施された。東京では1万人余が靖国神社境内の大広場に集合。17隊に分かれて各現場へ向かった。「七時四十分、隊旗を先頭に街を行く長蛇の列は、折柄のラッシュアワーに雑踏する帝都のうごめきを一時とどめてしまった、行路を遮断されたタクシーは見る見る長蛇の列となる、芝へ、日比谷へ、明治神宮へ……天理教精神の発露、踏みつける大地に足音も高く、粛々と進む無言の行進は雄弁に沿道の人心に呼びかけていた―――」(『天理時報』昭和7年5月26日号から)昭和5年、教祖50年祭(昭和11年)と立教100年祭(同12年)の、いわゆる「両年祭」の執行が発表。「諭達第五号」の中で述べられた「人類更生」に向かい、全教は大きく動きだそうとしていた。翌6年から始まった「昭和ふしん」では、延べ10万人が土持ちひのきしんに各地から駆けつけた。一方、世上では満州事変が勃発。日本が国際連盟から脱退するなど、準戦時の様相を呈しつつあった。こうしたなか、昭和7年、青年会と婦人会が「全国一斉ひのきしんデー」を提唱。初の対外的かつ全国的なひのきしんとあって、各教務支庁でも会議が重ねられた。迎えた当日。〝日本晴れ”とはいかないまでも、本州各地に爽やかな春風が吹き抜けるなか、約1千会場で3万7千人が実動した。ひのきしんの内容は、道路の修築・清掃が5割を占め、公園や学校などの清掃・除草がこれに続いた。さらに、公衆便所や墓地、火葬場の掃除、河川や溝の浚渫、隔離病舎の清掃も。また市街地では、白米などの寄付や、あるいは古物・不用品を集めて、社会救済資金として充当するところもあった。本紙は号外を発行して速報。紙面には、「帝都街頭の驚異的偉観(東京)」「歓喜漲る陽気な奉仕の一日(京都)」「風景を一新(熊本)」、さらには「小学教育の教材にいつまでも残るもの(大阪)」など多彩な見出しが躍った。この様子は、全国50種もの新聞で報道。ひのきしん会場となった台湾の植物園園主は「ごく地味なのではあるが、極めて有意義な植物園の清掃という仕事が、今回初めて天理教徒のひのきしんによって試みられ、それを目前に見た私は、あたかも天理教の実体を現実に見せつけられたように、何物かを感ぜしめられた。(中略)今日の奉仕こそ、真に純潔崇高なるものと言い得るものである」と署名入りのコメントを寄せた。ひのきしんデーが始まって、もうすぐ90年。社会構造は目まぐるしく変化し、人々の価値観も多様化している。そんな中も、昭和初期の記事から浮かび上がるのは、喜びに満ちた信仰者たちの実直でひたむきな態度と行動が、世の人の純粋な感激を呼んだ姿であろう。「ひのきしんデー」の映像記録としては最も古い、昭和24年の様子が動画でご覧いただけます(AIでカラー)化昭和7年5月18日、初の「ひのきしんデー」の様子(モノクロ写真をAI〈人工知能〉でカラー化したのちデジタルで着色処理)