天理時報2021年4月4日号5面
その喜びをもって、77歳のお出直しまでの5年間、我が身我が家を忘れ、神一条に徹しきってお通りになりました。何をするのも神様の神様の「おさしづ」に、「我が身捨て、も構わん。身を捨て、もという精神持って働くなら、神が働く」(明治3年11月3日)と、我が身を捨ててもかまわないという精神に乗って、神様はお働きくださると諭されています。神様は定めた心にお働きくださったということです。それからは、家業を人にまかせて、たすけ一条の歩みが始まります。おぢば帰りを重ねながら無我夢中で河内布教に徹した数年ののち、ご婦人がたと交代でおやしきの御用をつとめます。そして明治12年からは、教祖のお守役をおつとめになるのです。おやしきでの勤めは、炊事まわりや風呂焚きなどの下働きでしたが、おやしきへ足が向かうと「心が晴ればれした」と語っています。ある寒の日に、泉水の掃除をみずから買って出ます。教祖のお孫さんにあたる梶本ひさ(のちの山澤ひさ)と一緒に、素足になって冷たい水の中に入り掃除をされます。二人の足は真っ赤になりました。美しくなった泉水をごらんになった秀司先生は、たいへん喜ばれ、「まあ、冷たいやろう」とおっしゃいました。りんは、「これで、一度に温うなりました」と、そのときの喜びを記しています。また、ある日のこと。便所の中にたいへん汚汚いことをしてあったのを、頼まれないのに、誰誰にも気づかれないうちに、きれいに掃除をさされました。「まああんな、汚いこと、誰したやらわからんのに、掃除、人のしらん間にしておくとは、「誠の人やな」「結構の理を聞き分け、また結構のおたすけをいただいて、その心がちがいます」このような、おやしきの人々の言葉から、教の理を聞き分けて心に治めて通られた信心を伺うことができます。そのうえ、川で大釜を洗ったり、薪でかまどや風呂を焚くときであっても、年中きちんと帯をしめてつとめられたということです。何をするのも神様の御用をさせていただいてているという、気持ちのあらわれであったとおおもうのです。(つづく)河内から大和方面を望む。河内で布教していたころ、重病人が与わると、おぢば帰りを心定めして歩いた。毎月おぢばで買い求める「はま下駄」はひと月もたず、裸足で歩くりんの足の裏は石のように硬くなっていたという「針の芯」のお許しを頂いたりんが記した、教祖のお召し物の寸法書。赤衣の縫い初めに、りんの一針が入らなければ、誰も縫うことを許されなかったと伝えられる(大縣大教会所蔵)明治7年の入信以来、お屋敷につとめた日々のことをこまごまと書き留めた。教祖と中山家のご家族、お屋敷へ出入りした人々の様子がしのばれる(大縣大教会所蔵)