天理時報2021年4月4日号4面
特別企画信心への扉おやさまに導かれた女性文・伊橋幸江天理教校本科研究課程講師いはし・ゆきえ。平成2年、天理教校本科卒業。同年から天理教校本科研究室に勤務。天理大学非常勤講師。心がうれしくなって晴ればれする世界へ増井りん(上)明治16年、りん44歳のとき撮られたもの。教祖のお守役として日々おそばに仕え、別火別鍋のお食事をはじめ、身の回りの一切のお世話をされた(大縣大教会所蔵)世界一れつをたすけたい。この親なる神様のお心を、教祖は、私たち人間に分かるようにお示しくださいました。その教祖に導かれた先人は、真に「生きる」ということに目覚めて、この道を歩まれました。こんにち、世界には困難な問題が山積みされていますが、人間社会における利権などが複雑にからみ、問題の解決にいたる処方箋は簡単にはみつかりません。けれども教祖は、まずは一名一人、すなわち、私という一人が誠の心で教祖の「ひながた」を辿らせていただくことが、真の平和世界へいたる道であることを教えくださいました。教祖は「月日のやしろ」として、口に筆に親神様の教えを説き記され、そして「ひながたの親」として陽気ぐらしの「ひながた」を示し、みずから先頭きってお通りくださいました。その教祖「ひながた」は、「稿本天理教教祖伝』に明らかにされています。もう少し具体的に、ということになりますと、教祖に導かれた道の先人の姿をとおして、学ばせていただくことができます。そこで、ここでは特に、この道の信心に生きた女性を取りあげ、教祖「ひながた」との接点を求めたいとおもいます。教祖が身をもって通られた幕末から明治という時代において、当時の社会的な制約のとに生きるという側面が、特に女性には顕著です。その中にあって、教祖は、当時、大切とされた家柄や財産という形あるものによってではなく、一名一人の心次第、その心通りにご守護をいただく道をお示しくださいました。先人は、手足を縛る縄が解かれるような、靄が晴れて青空がひろがるような感激をもって、その教えを受けとめたのではないかとおもうのです。「真っ暗闇の世界」から増井りん(1843~1939年)という先人は、明治7(1874)年にこの道に手引かれました。大阪府中河内郡大県(現、大阪府柏原市大県)に生まれ、家柄も財産もある豊かな家の一人娘として育ちます。1歳で婿養子を迎え、3人の子供に恵まれ、何不自由なく暮らしていましたが、その暮らしは30歳のとき、両親、ついで頼りの綱の夫を亡くして一変します。さらに2年後、その両目が一夜の間につぶれて見えなくなります。医薬の限りをつくして回復を願いましたが効果はなく、小さな子供を抱えて絶望の底にあったとき、人づての話をとおして教祖の教えに導かれます。代理の人が、おぢばで書き記してもらった書き物には、身の内は神の「かしもの・かりもの」「いんねんの理」「八つのほこり」などの教理が詳しく書かれていました。さらに、三日三夜のお願いをするときは、まずこの「教の理」を心に治めてからするように、と書き添えがありました。りんは、その教の理を「なるほど」と心に聞き分けられます。「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます」「二本の枝にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます」と、精神を定め、三日三夜のお願いに掛かりました。三日のお願いが明ける夜明けとともに、その目は全快するのです。「真っ暗闇の世界」から一転して、「有りがたい、心が嬉しうなって晴ればれする」世界へ出たといわれています。