天理時報2021年3月28日号4面
特別寄稿東日本大震災から10年を迎え平澤勇氏磐城平大教会長福島教区長いま、全世界で新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい、大きな困難の時代を迎えています。人生には予期せぬことが度々起こるものです。個人では身上や事情という節があります。社会的には、今回のような感染症や自然災害という節もあります。先月13日と今月20日には、福島県沖と宮城県沖で大きな余震があり、10年経っても東日本大震災はいまだ終わっていないことを思い知らされました。しかし、パンデミックも地震も、「おふでさき」に記されている通り、子供である人間を陽気ぐらしへ導いてやりたいという親神様からのメッセージなのでしょう。震災発生当時を振り返って平成25年3月11日に発生した東日本大震災から、今年で丸10年を迎えました。目を閉じれば、当時の悲惨な状況がよみがえってきますし、復興への苦難の歩みも浮かんできます。私の住む福島県の場合、最大で震度6強の地震が発生し、その後に大津波が沿岸部に押し寄せ、東京電力福島第一原子力発電所でメルトダウンの大事故が起こりました。地震と津波で大勢の命が奪われ、多くの家屋が被災しました。また原発事故の影響で、半径20㌔圏内の周辺地域の住民全員が避難せざるを得ない厳しい状況に陥りました。そのうえ、放射線による風評被害が起こり、さらには避難によって血縁や地縁がバラバラになってしまうという、離散・分断被害を招きました。その後の復興の過程では地域格差が生まれ、日常に戻った地域と、今でも大変な地域とがあります。ふるさとからの避難を余儀なくされている人たちが、10年経った現在も約4万1千人います。経済的、精神的に悩み苦しんでいる人も大勢います。海を直視できない人や、地震があると体が震える人など、トラウマに悩まされている人たちが少なからずいます。この未曾有の東日本大震災は、果たして私たちに何を残したのでしょうか。自然界への畏れを実感したこと、日常の便利な生活が当たり前ではないということに気づいたこと、今日一日への感謝の心が高まったこと、物のありがたさや人情、絆のありがたさを知ったこと、人間が本来持つたすけあいの精神がよみがえったことなど、さまざま挙げることができるでしょう。一方で風評被害、そして誹謗中傷もありました。コロナ禍で起きている状況と同じように、人は時として醜い面を見せてしまうのでしょうか。信仰の持つ大きな力を実感私自身は、信仰の持つ大きな力やありがたさ、そして信仰の大切さを強く感じました。あえて言えば「祈りの力」「教えの力」「たすけあいの精神とひのきしんの実行」が身に染みました。まず、被災地の私たちに大きな勇気と力を与えたのは「お願いづとめ」でした。おぢばでは真柱様を芯に、3月22日から3日間「お願いづとめ」を勤めてくださいました。これに呼応して、全国各地や遠い海外でも、大勢の教友たちが祈りを捧げてくださいました。「お願いしていますよ」との声が、どれほどありがたかったことか。こうした祈りは、復興への大きな力になりました。また、「信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』21「結構や、結構や」)との自然災害に対する教祖のお言葉は言うまでもなく、「大難は小難、「小難は無難」という節における悟り方が、なんとか芽を出そうとする私たちの後押しになりました。そして、私たちには「たすけあいの精神とひのきしんの実行」があります。震災発生直後から福島県に対し、て全国各地の大勢の教友の皆様による救援支援活動が行われました。さらに、教会本部や婦人会本部をはじめ、各地から水、燃料、食料、衣料、日用品などの「物的支援」を頂戴しました。その後、災害救援ひのきしん隊をはじめとして、大勢の教友たちがひのきしんに来てくださいました。給水活動、炊き出し、救援物資の手配り、教会や家屋の修理修繕、津波による瓦礫の撤去や後片づけなど、さまざま「な「人的支援」がありました。そして、真柱様、奥様の被災教会へのお見舞いや、災害救援ひのきしん隊宿営地への激励も、復興への大きな力となりました。連綿と続いてきた支援活動救援支援活動も、時間の経過とともに形が変わっていきました。仮設住宅や復興住宅への訪問物資の手配り、傾聴ひのきしん)や、イベント(模擬店、もちつき大会、ミニ運動会、音楽の演奏会)の開催など、実に多様な支援活動が10年間継続されてきました。教会本部からの3年間にわたる「こどもおぢばがえり」の帰参支援や「学生生徒修養会」の受講支援も、子供や若者たちに力を与えました。また、天理大学雅楽部や天理教校学園高校マーチングバンド部の演奏会も、”心の復興〟への勇み心につながりました。老若男女を問わず、大勢の方々が被災地に来てくださり、本当にありがたい限りです。それらはすべて被災地に手間をかけない自己完結型で、被災された地域住民からも感謝やお礼の言葉をたくさん頂きました。目を閉じれば、さまざまな活動が思い浮かびます。その一つひとつに、涙が込み上げてきます。教内の皆様には、感謝よりほかに言葉はありません。お道の大きな底力を実感した10年というのが、いまの正直な思いです。福島県は、まだまだ復興の途上にあります。原発廃炉への長い道のりと処理水や除染活動、避難者の帰還、雇用、風評被害、離散・分断被害など、数多くの問題が残されています。その解法の道を歩みつつ、今後も福島復興への祈りはもとより、教内の皆様への恩返しの意味を込めて、少しでも被災地支援のお手伝いを続けていきたいと思っています。日本史コンシェルジュ歴女がご案内いたします白駒妃登美寄り添い、話し合う東日本大震災から丸10年。真の復興とは何か、そして被災地の人々に寄り添うとはどういうことなのかを、私たちはあらためて自分自身に問いただす時期が来たようです。そのヒントを与えてくれるのが、沖縄で〝神様”と呼ばれた第1代齋藤用之助です。彼の祖先は、武士道を象徴する書物『葉隠』に登場する人物。佐賀藩の藩祖・鍋島直茂から信頼され、用之助という名前を拝命しました。その後、齋藤家の当主は代々「用之助」を襲名することが義務づけられたため、名前の前に「第11代」とつきます。第1代齋藤用之助は、幕末の佐賀藩に生まれ、9歳で明治維新を経験します。20歳で警察官として沖縄県に赴任すると、その後、県の行政官へ転職し、4年間にわたり沖縄の近代化に貢献しました。那覇区長と島尻郡長を長年兼務し、エネルギッシュに活動する彼に、予期せぬ役目が降りかかります。明治38年、島尻郡の一部で、沖縄県最北端に位置する硫黄鳥島の火山が大噴火を起こし、島尻郡長の用之助が島民の安全を守るために奔走する、という事態が出来したのです。現地を訪れた調査技官らは、全島民が島外へ移住したほうがいいという意見で一致。島民の多くは、島に残っても経済発展が望めないことや子供に十分な教育を受けさせてやれないことを憂い、移住に賛成しました。しかしその一方で、少数ですが、祖先伝来の地を捨てるに忍びないと、島に残ってなんとか生活を成り立たせようとする者もいたのです。このような状況に際し、用之助は、安易に多数決をとることなく、移住に反対する者や不安視する島民の意見をじっくり聞き、納得のいくまで話し合いを重ねました。しかも、硫黄鳥島の噴火は日露戦争直前というタイミング。国難のなか、用之助は政府に掛け合って軍艦を派遣してもらい、巨額の移住費補助を取りつけ、移住予定地に家も畑も確保したのです。さらに彼は、家畜や家財道具、先祖の遺骨やお墓、それに島民の心のよりどころである御嶽(沖縄では、聖域とされる祈りの場をそう呼びます)も移住先へ移そうと提案しました。彼の真心が届き、島民大会において全員一致で移住が決定されると、硫黄の採掘員だけを残し、島民約70人が、およそ10カ月間という驚くべき短い期間で新天地・久米島への移住を完了しました。彼らのために用意された新しい集落の名前は、「字鳥島」。最後の移住者が久米島の字鳥島に到着したのは、明治3年2月11日のことでした。このとき、用之助が人々に語りかけた言葉が、伝わっています。「もう帰る場所はない。これからこの地をみんなのふるさとにするのだ」厳しさの中に、なんと優しさが溢れる言葉でしょう。1世紀以上経った今も、移住者の子孫はみな「私たちが今あるのは、1代のおかげ。神様です」と、用之助への感謝を口にします。現代もさまざまな自然災害が起こっていますが、どうすれば被災地の人々の心に寄り添うことができるのか、用之助の人生には学ぶべき点が多いですね。宗教から見た世界最終回再考「宗教リテラシー」このコラムを始めてから、13年ほどになる。「宗教」に関する情報をクリティカルに、読み解く能力としての「宗教リテラシー」をキーワードに、グローバル化する現代世界の背後にある宗教的要因について考えるというのが、そもそもの趣旨であった。本来、リテラシーとは「識字能力」を意味する。20年ほど前から、これがカタカナ表記のままで、与えられた情報を批判的に読み解く力〟といった広い意味で用いられるようになった。「宗教リ「テラシー」について言えば、日本では1995年の地下鉄サリン事件、世界では2001年の米国同時多発テロが、社会的にもそうした関心を高める大きな転機となった。この動向をさらに後押ししたのが〝ネット社会化〟の流れである。世界で起きる事象について、今ではネット上で簡単に情報を入手できる。リテラシーの意義は、そうした情報が果たして信頼できるものか否かを判断するための能力を身につけることにあったはずだ。だが、そもそも、特定の事象についての的確な判断をするための情報それ自体を、私たちは一体どこから入手すべきなのか?ネット社会化によって生まれたのは、こうした潜在的な〝情報の無限連鎖〟という問題であった。一方で、そもそも「判断」とは、そうした連鎖を断ち切ることにほかならない。つまり、情報の過多に戸惑う直前で、私たちは自分が信頼したい情報源に頼るほかないのだ。それを最もよく示すのが、米国の先のトランプ政権から生まれたポスト・トゥルース(脱真実)、なる標語だろう。だが、情報、つまりは「知識」が、つまるところは「信」に依拠しているというこの構造は、実は情報やリテラシーにのみ関わる問題ではない。「知」とはそもそも、それ自体が「信」に依拠せざるを得ないというこの性格を、決して逃れることはできないのだ。では「宗教リテラシー」は、もとより敗北の運命にあったのだろうか?おそらく、そうではないだろう。一定水準のリテラシーの先には、その〝深化〟が待ち受けているはずである。むしろ、より的確に言えば、私たち自身が、そのように歩み続けていかねばならないのではないだろうか。(島田勝巳天理大学宗教学科教授)