天理時報2021年1月31日号4面
教外者が読む中島みゆき第二詩集四十行のひとりごと中島みゆき著特別寄稿佐藤剛「ぜったいグランプリ」に見る人生スペクタクル2020年、ぼくがリアルに体験することのできたコンサートはただ一つ、東京のNHKホールで行われた中島みゆきの「2020ラスト・ツアー結果オーライ」のみだっ。たいまから考えると、新型コロナウイルスの感染が拡大していた2月13日に、コンサート会場まで足を運ぶことができたのは、音楽の神様による導きだったように思う。というのも、急に見つかった大腸がんの手術のために、ぼくは前年の1月下旬から11月にかけて1カ月ほど入院し、無事に退院したところだったからである。そして体力の回復を待ちながら自宅療養していたところに、45年来の仕事仲間であるデザイナーのAさんに声をかけられて、コンサートに招いていただいたのだった。その夜は、みゆきさんの歌声と音楽を全身で聴きながら、自分が生きていることに、初めから終わりまで感謝し続けた。終演後は真っすぐ自宅に戻って横になり、パンフレットを見てコンサートの余韻を味わった。そのときにふと思い出したのが、ヤマハ音楽振興会をつくった故・川上源一さんの言葉だった。さっそく、著書『子どもに学ぶ』を手に取って、川上さんの言葉を読み直しているうちに、深くうなずかされることになった。「人に音楽を聴かせるというのは、自分の感情を伝えるために必要なテクニック、演奏する力はどうしても必要だけれど、必要なテクニックができているなら、自分の人となりや自分の気力や感情を、思いきって、命がけで伝えることなのだと思う。命がけで伝えないと、感動というものは、呼び起こせない」(川上源一著『子どもに学ぶ』)音楽を表現することの本質と人間の感動を、実にうまくとらえている言葉だと思ったからだ。1975年5月18日に開催された「第9回ポピュラーソングコンテスト本選会」の入賞曲で、中島みゆきがプロとしてデビューするきっかけとなったのは、『傷ついた翼』という作品であった。だが、『アザミ嬢のララバイ』より先にレコード化の話もあったという幻のデビュー曲〟は、その年の12月になってから、シングル『時代』のカップリングとして世に出た。しかし、事前の段階から評価が高かったので、この曲がグランプリに選ばれる可能性も十分にあったらしいのだ。そのことが『中島みゆき第二詩集四十行のひとりごと』の「ぜったいグランプリ」と題した詩によって明らかにされていた。そこに日付順に描かれている出来事は、みゆきさんにとって大きな節目になった1975年の重要事項である。登場する狂言回し的なわき役は、地方の放送局で働いていた、ペーペーのディレクターとアナウンサーだった。『中島みゆき第二詩集四十行のひとりごと』から、当該箇所を引用する。3月16日舞台袖の暗がりで二人の男が跳び上がり喜んだ地方局ペーペーディレクターとペーペーアナウンサーが一次予選前から何度も取材を重ねて来たのこの後の全国大会で私が優勝すると予想しての事だったヤマハが主催するポピュラーソングコンテスト(略称=ポプコン)の最初の関門、北海道予選が行われたのが3月16日だった。その1年前にヤマハの北海道支社に入社した高瀬清志氏は、ポプコンの前身である「ライトミュージックコンテスト」の北海道大会でグランプリを受賞し、その後にヤマハから声をかけられて、大会運営のスタッフになっていた。高瀬氏は今世紀になってからだが、当時のポプコンの仕組みについて、こんな話を語っている。「東京のポプコンに出るには、まず数曲録音してポプコンの主催である財団法人ヤマハ音楽振興会に送ると採点されて返ってくるんです。北海道支社はそれまで10点中5点以上取ったことがなかったのに、中島みゆきは10点満点。すぐ東京に連れて行け、という指示が出て、あとは皆さんもご存知のとおりの活躍です」(「インタークロス・クリエイティブ・「センター」ホームページより)こうして東京に連れていかれたみゆきさんは、ヤマハのオーディションを受けて合格し、その場で川上さんにも会っていたであろう。そのためにキャニオンレコードからデビューする話が、順調に進んでいったと考えられる。しかし、5月18日に静岡県の「つま恋」のホールで開催された全国大会で、みゆきさんは期待に応えることができずに終わった。グランプリを逃した『傷ついた翼』は、優秀曲賞の3作品にも選ばれなかったのだ。5月18日全国大会かんじんの私が落ちた「番組は取り消しになりました残念です」地方局のペーペーたちはここまでしか同行を許されず、番組企画は未完成のまま、あきらめるしかなかった。しかし、みゆきさんには嘆いている時間がなかった。すぐに気持ちを切り替えて、ここから次の挑戦に取り組んだ。なぜならば秋の大会に向けて、自信作の『時代』をエントリしていたからである。9月7日ふたたび北海道大会優勝舞台袖の暗がりにペーペーたちの姿はなかった彼女は目標に向かってもう一度、自らが先に立って進もうとしていた。ところがここで、誰も予想していなかった事態が起こった。『時代』が出来上がったときには元気だった父が倒れて、意識を失ったままになったのである。「ぜったいグランプリ」の詩から、ふたたび日付と文章を引用したい。9月16日早朝父が脳出血で倒れた10月12日全国大会優勝世界大会出場決定父は意識が戻らぬまま眠りつづけていたみゆきさんの父は個人で産婦人科の開業医を営んでいた。そこでただ一人の医師が倒れてしまったら、経営が成り立たなくなるのは自明の理である。回復の兆しがみられないために医院を閉めなければならなくなり、小銭までかき集めて従業員に給料を支払った。そして家族は身の回りの物だけをまとめて、親戚を頼って遠い町へ移ることになった。日本武道館で開催されるヤマハの世界歌謡祭は、予選が11月15日で、ここをクリアできれば翌日が本選だった。これまでに最も大きな舞台に出場するみゆきさんが東京に向かう日、北海道の十勝はすでに冬が始まっていた。そして、誰にも知らせずに発つはずだった駅の改札口には、ペーペーの二人がひっそりと佇んでいるのが分かった。どうやって知ったのかさすがは放送局離れ始める列車へ目礼していたペペーディレクターが突如全力でホームを走り出し何か叫んだペーペーアナウンサーも全力で走り叫んだグランプリっ!」「………………ぜったいっ!グランプリぃっ!」凍りついたホームの端まで二人は突っ走り叫び続けた一九七五年1月16日日本武道館世界歌謡祭グランプリ受賞曲は「時代」その後彼らが何処へ移されて行ったのかわからないその後私があの町をふたたび訪れる機会もないあえて詩集の中にさりげなく書き下ろしたこの話を読んだことで、ぼくは不思議な感動にとらわれてしまった。ポプコンや世界歌謡祭にまつわるさまざまなエピソードは、これまでにも何度か目にしてきたけれど、それらをひとりの人間に起こったひとつながりの出来事として、時系列に沿って見ていく視点はなかった。それが『中島みゆき第二詩集四十行のひとりごと』が刊行されたことで、人生における一大スペクタクルだったことが分かったのだ。「ぜったいグランプリ」の最後は、こんな文章で終わっている。でも私はいつだってあの早朝をありありと思い出せる凍ったホームを突っ走りながら叫んだペーペーたちの「ぜったいぃーっ!」「グランプリぃーっ!」はたからみれば淡々と生きているように見える23歳の中島美雪は、そこから日本を代表する表現者の中島みゆきとして成長していったのである。プロフィール【さとう・ごう】学館文庫)、「黄昏のビギンの物語』(小学館新書)特設ページでも寄稿・書評を公開中「四十行のひとりごと』の特設ページでは、本書のプロモーション・ムービーのほか、倉本聰氏の特別寄稿をはじめ、若松英輔、中江有里、先崎学の3氏による書評を掲載している。家族の情景●エッセイスト川村優理-原田マハ作『キネマの神様』別の価値観へのドア本作は、映画とギャンプルに生きる父親ゴウと、キャリアウーマンとして活躍してきた娘・歩を中心とした物語です。ゴウは病気になり、多額の借金が発覚しました。一方、歩は30歳で会社を辞め、映画雑誌を作る会社に再就職。父の映画評論の素晴らしさに気づき、会社でプログを立ち上げて、彼の文章を広く公開します。ブログの名前である「キネマの神様」は、ゴウが映画館にはキネマの神様がいると信じてきたからです。いつしかブログの読者は、ゴウ自身がキネマの神様であると考えるようになります。確かにブログには、ずしりと重い言葉が記されていました。ブログは英訳され、世界中からメッセージが届くようになりました。映画というものには、自分の行ったことがない世界がたっぷりと詰まっている。体験したことのない幾多の人生がある。そして、小生は入ったことはないけれど、映写室のなにやら秘密めかした機材の数々に、心躍らない少年がいるだろうか。少年とはいつの世も、こんがらがってムツカシイ機械が好きな生きものなのだゴウのブログの中で私が最も心を惹かれた部分です。特に「少年とはいつの世も、こんがらがってムツカシイ機械が好きな生きものなのだ」という言葉には、すっかり驚いてしまいました。たとえば車の内部構造やコンピューターのシステム。これらは私にとっては、まさに苦手な分野のシロモノですが、そういった物を、少年たちが好きだというのです。それまで見ようともしなかった、自分と異なる物の見方に気がつくこと。自分と同じ世界に隣り合って住まいする人々の、自分とは異なる視点に気がつくことは、なんて楽しい発見なのでしょう。映画では、非日常の世界に出会います。悪漢を倒す英雄や、難問を鮮やかに解決する名探偵。あり得ない生物や、魔法の国。劇場には、スクリーンをとりまく光と闇と音楽という装置があり、観客を、自分とは別の価値観へのドアへと誘います。もし、視点を少し動かすことで、別の価値観へのドアを開くことができるのなら、たとえば、最も近い隣人である家族の、一見どうしようもない問題も、新しい発見のためのドアだと思えるかもしれません。原田マハは1962年、東京都生まれの女流作家。『キネマの神様』は2008年に刊行され、21年、第8回「酒飲み書店員大賞」受賞。山田洋次監督による映画が今年4月に公開予定。菅田将暉(青年時代)と沢田研二(晩年)がダブル主演を務める。道友社の新刊書おやさま情景フォトブック創刊おやさと心の景神殿・教祖殿・回廊・中庭