天理時報2020年11月15日号2面
視点歴史の事実〟に学ぶ備え11月5日は「世界津波の日」である。安政元年(1854年)11月5日に安政南海地震が起こった。和歌山では大津波が発生。その際、村人が稲むらに火をつけることで警報を発し、早期の避難を果たした。これを、日本が国連に呼びかけ、記念日として制定された。津波による犠牲者が1万8千人を超えた東日本大震災から、来年3月で10年になる。また、2004年12月のインド洋大津波の犠牲者は2万人にのぼる。今後も津波の脅威を風化させることなく、後世へ語り継がなくてはならないと思う。そのうえで、自らの命を守り、次の世代に命を守る行動を引き継いでいく決意この日に胸に刻み直すことが求められている。さて、1918年から21年にかけて世界でスペイン風邪が大流行し、約4千万人が死亡した。日本では「流行性感冒」と呼ばれ、総人口の半分に当たる約2千万人が感染し、38万人が亡くなった。その中には島村抱月(劇作家)、辰野金吾(建築家)、竹田宮恒久王(皇族)などの著名人もいる。また、スペイン風邪は、20代・30代の青年層の死者が多く、社会的な損害が目立ったという。それから間もなく起きたのが1923年の関東大震災で、約10万人の犠牲者が出た。スペイン風邪の死者のほうが圧倒的に多いのだが、関東大震災の惨状の印象が強いために、その直前の史上最悪の伝染病が忘れられているきらいがある。そして、震災後の日本は昭和に入り、金融恐慌、太平洋戦争へと〝時代の波〟を大きく受けていく。実は似た事例が、それより70年前の江戸時代末期にもあった。1854年に安政東海地震と冒頭でふれた安政南海地震があった。翌年には安政江戸地震が起こる。これは、南海トラフと南関東が震源であった。そして、その3年後にコレラが大流行したのである。江戸だけで24万人以上の死者が出たという。その後、幕末の尊王攘夷運動、明治維新、開国と、時代は一気に動いていく。感染症と大地震が相次いで起こり、続いて大きな社会変革があったことは歴史の事実〟である。現在、新型コロナウイルスの感染者数が世界で5千万人、死者は15万人を超えた。国内では感染者1万人、死者は1千人。一時に比べれば国内の感染拡大のペースは落ちたとは言え、冬にかけて、まだまだ予断を許さない状況である。一方で、「南海トラフ地震」が今後30年の間に発生する可能性が高いといわれている。静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があり、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10㎡を超える大津波の襲来が想定されている。さらに、今後30年以内に70パーセントの確率で起きる「首都直下型地震」も想定されている。感染症と地震災害との時間的な関連を立証することは甚だ困難だが、あらためて歴史を振り返って、地震への備えを肝に銘ずることは無駄にならないであろう。また、感染症と地震には共通項もある。東京などの大都市は人口が密集し、互いの経済的依存度が高い。この両者は、規模によっては、いったん起これば日本全体に影響が及ぶ。都市機能の分散は最優先に取りかからなければならない国土改革の要点であろう。それとともに、人と人とのつながりを、いま一度考え直す必要がある。物理的な密集は、どんな感染症や災害でも被害の拡大をもたらすのは明白だ。たとえ空間で距離が離れているとしても、精神的・心情的なつながりを濃密にする手だてを考える好機と捉えるべきではないか。(安)ドキュメント信心のよろこび島崎勇さん56歳古里分教会教人・東京都奥多摩町今谷奈々恵さん44歳・同・東京都板橋区家族の真実に不思議〟現れる「孫が無い命をたすけていただいた。ご恩報じの思いで伏せ込ませていただきたい」爽やかな秋空のもと、淺草大教会(宮内泰夫会長・東京都足立区)の外壁塗装のひのきしんに、黙々と汗を流す勇の姿があった。今年7月のある日、勇の娘・奈々恵のスマートフォンに緊急の電話がかかってきた。「息子さんがバイク事故を起こしました。病院へ急いでください」。奈々恵は状況がのみ込めないまま、救急病院へ向かった。搬送先の病院で顔を合わせた息子の翔太(18歳・仮名)は、顔が青ざめ、意識が混濁していた。「悪かったね」。普段から無口な翔太が、言葉を振り絞るように話しかけても、奈々恵は心配のあまり、「頑張って」としか声をかけられなかった。その後、翔太は大学病院へ移送され、緊急手術を受けることになった。翔太は配達のアルバイト中にバイクの転倒でハンドルが腹部に突き刺さった。腹部には3影もの血液が溜まり、肝臓が真っ二つに割れていたという。医師の説明を聞き、息子に命の危機が迫っていることを知った奈々恵は父親に連絡。勇は所属教会でお願いづとめを勤め、その足で病院へ走った。親子孫の3人が対面できたのは、緊急手術を終えた深夜零時すぎ。集中治療室で複数の管につながれた翔太を見た奈々恵は涙が止まらなかった。その傍らで、勇は一心におさづけを取り次いだ。取り次ぎを終えたとき、勇は「必ずたすけていただけると思った」と振り返る。翌日、勇のもとに中村義廣・古里分教会長(78歳)から連絡が入った。「翔太を立派なようぼくへと導く心定めをさせていただこう」と諭された。三代にわたるってびき”実は勇自身も、若いころバイク事故を起こしたことがある。信者家庭に育ち、信仰3代目。高校生のころはお道の教えに反発していたが、事故をきっかけに修養科を志願。おぢばで出会教友と過ごすうちに、自ら教えを求めるようになった。その後、塗装業を営みながら教会日参を続け、昨年からは大教会の創立10周年記念祭に向けて、改修工事に携わっている。「教会に心をつなぐことで、どんな節の中も結構にお連れ通りいただける。翔太にもこの信仰を伝えようと、2月に一緒におおば帰りをしたところだった」一方、奈々恵も〝てびき”を経験した。高校時代に教えに疑問を感じ、お道から心が離れていたところ、卒業後に自動車事故を起こしたのだ。その後、修養科を志願。教えに感銘を受け、本部勤務を願い出て、おぢばに伏せ込んだ。東京へ戻り、結婚してからも、仕事と子育てを両立しながら信仰を求めてきた。事故から二日後、翔太は傷ついた臓器を摘出するため、再び手術に臨んだ。この手術中に胆管が切れていることが発覚。医師からは「通常は胆管が切れた状態で生きている人はいない。奇跡としか言「いようがない」と伝えられた。6時間半に及ぶ手術は成功。経過観察のため、しばらく集中治療室で過ごしたのち、翔太は一般病棟へ無事に移ることができた。コロナ禍中にできること折しも翔太が事故を起こしたのは、新型コロナウイルスの感染拡大により、「三密」の回避徹底が叫ばれるさなかだった。一般病棟へ移った翔太のもとには、面会制限がある中で家族が代わる代わる駆けつけ、おさづけを取り次いだ。一方、面と向かってのおたすけが叶わないなか、中村会長をはじめ上級教会の会長や教友らが、「コロナ禍の中でもできること」を考え、真実のおたすけに尽くした。事故の翌日、上級の青梅分教会(中村秀明会長)の月次祭では、教会につながる教友たちが翔太のたすかりを願って心一つにお願いづとめを勤めた。また、淺草大教会や信者詰所でも、お願いづとめが勤められた。さらに、中村会長は「おぢばでお願いをさせていただこう」と思い立ち、車を走らせた。おぢばでは、本部神殿のお下がりのオレンジを宮内大教会長(2歳)が用意していた。神殿でお願いづとめを勤めた中村会長は、オレンジを受け取って帰京。腹部の手術を受けたばかりで、すぐに食べられないことから、オレンジを絞ってジュースにしたものを冷凍保存し、後日、飲食できるまでに回復した翔太飲ませた。中村会長は「今回、翔太がたすかったのは決して奇跡ではない。勇さんが教会日参し、伏せ込まれた真実を神様が受け取ってくださったと思う」と語る。その後、順調に回復した翔太は、9月初旬に退院。現在、自宅で療養している。奈々恵は「翔太は事故前後の記憶はほとんどないようだが、退院後、すぐに教会の月次祭に参拝したいと話していた。たすかりを願ってくださった多くの方々への感謝の思いを強くしているのだと思う」と話す。そして勇は、多くの教友が孫のために誠真実を尽くしてくださった姿を目の当たりにし、一層勇んで大教会のひのきしんに力を尽くしている。「翔太には、ゆっくりでいいから、しっかりとおたすけのできるようぼくへと育って、教会の方々にご恩返しをしてほしい」翔太が退院して1カ月が経った10月中ごろ。大教会の神殿で親子3世代が肩を寄せ合い、静かにぬかずく姿があった。(文中、敬称略)大教会でお礼参拝する、勇さん夫妻と奈々恵さん豊繁詰所が開所式本部直属豊繁分教会(青木豊太郎会長)が天理市別所町で増改築を進めていた信者詰所がこのほど完成。10月25日に「開所式」を執り行った。当日は、部内教会長をはじめ、ようぼく・信者ら4人が参集し、本部神殿西礼拝場で「定時のおつとめ」に合わせて竣工の御礼参拝。その後、新詰所へ移動し、同教会世話人の仲野芳行本部員がテープカットを行った。仲野本部員は祝辞の中で、詰所が代々活用されることに期待を寄せるとともに、おぢばにつながる大切さをあらためて説いた。なお、新詰所は12月1日から事務を開始する予定。(本部直属豊繁分・小野社友)別席取次人西村嘉一立教18年10月30日お許しを頂かれました。内統領室告示第一四七三号集会規程第三条により立教百八十三年十一月二十七日第二百五十四回定時集会を招集する会期は一日とする立教百八十三年十月三十一日天理教表統領中田善亮生きる言葉天理教教祖の教え消友社編AA日めくり「稿本天理教教祖伝逸話篇」から和楽「至誠一貫の精神で相撲道に邁進してまいります」大相撲九月場所で初優勝した正代関が、大関昇進時に述べた口上である。至誠一貫とは文字通り、最後まで誠意をもって貫き通すこと。8日に始まった十一月場所は、コロナ禍の影響がなければ、熊本県出身の力士として初めて賜杯を手にした新大関の九州凱旋となるはずだっただけに口惜しいが、故郷の熱い声援は、きっと国技館の土俵にも届いていることだろう相撲の基本技術の一つに「ハズ押し」と呼ばれるものがある。親指を立て、ほかの4本の指を伸ばした手を、相手の体に当てがって押し上げながら前に出る。このときの手の形が、掛け軸などを壁に掛ける際に使う「矢筈」の先端部分に似ていることが技名の由来という。さらに語源をたどれば、もともと矢筈は、弦につがえる矢の末端部分を指す弓道用語である。筈の部分がV字型に加工されていることから、先端が似た形をしている道具を同じ名称で呼ぶようになったのだろうちなみに筈が弦にはまるのは当然であることから、転じて「当然そうなること」を指す表現としても用いられるようになった。「それもその筈」といった言い回しや、物事を進めるための手順や準備を表す「手筈」などの語句として残っている。新三役まで一気に駆け上がった後に伸び悩んでも腐らず、課題の立ち合いの弱さを克服すべく、ひたむきに稽古に励んできた努力家の大関昇進は、ある意味必然だったのかもしれな今年も残すところ1カ月半。年頭に掲げた目標を思い返しては、遅々として進まない歩みに反省ばかりが先に立つが、後ろ向きのままでは前進はない。「まさか、こんな筈では………….」とならぬよう、寄り相撲の得意な新大関にあやかって初志貫徹、わずかでも目標へ歩を進めつつ年の瀬を迎えたい。(南)お気軽にお電話ください教会長おたすけ相談室■受付専用ダイヤル0743-63-1641親里情報便管外医療ようぼく(要員)募集令和3年度天理よろづ相談所病院「憩の家」「憩の家」職員募集診療放射線技師言語聴覚士