天理時報2022年11月23日号4面
【特別企画 “用の美”と“にをい”伝える – 河井寬次郎記念館を訪ねて】京都市にある河井寬次郎記念館には、いまも大勢の人々が訪れる妻つねの信仰 子や孫に受け継がれ日本近代工芸の巨匠・河井寬次郎(1890年8月24日〜1966年11月18日=コラム参照)は、陶工として数多くの優れた作品を制作するとともに、書や随筆を残した。また、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品に“用の美”を見いだす「民藝運動」を推進。没後50年を経た現在も、国内外の多くの人々に影響を与えている。そんな寬次郎を側で支えた妻つねは、結婚後にお道の信仰に出合って以来、家事や子育て、客人への応対など忙しい日々の合間を縫って教えを求めた。つねの信仰は現在、「河井寬次郎記念館」(京都市)を運営する孫の代に受け継がれている。寬次郎が残した“用の美”と、つねの“お道のにをい”を今に伝える同記念館を訪ねた。来年50周年を迎える「河井寬次郎記念館」は、寬次郎の住まい兼仕事場を一般公開したもの。ここを訪れる老若男女は、さまざまな思いを抱くという。なかには、自死を考える人が生きる勇気をもらったというエピソードも残っている。「祈らない祈り 仕事は祈り」同記念館の館長であり、寬次郎の孫の夫である河井敏孝さん(76歳・扇昭分教会扇栄布教所長)は、「寬次郎が残した『祈らない祈り 仕事は祈り』の言葉の通り、日々の仕事を通じて生かされていることへの感謝を表現していたと思う」と話す。大正10年、個展デビューを果たした寬次郎は、『天才は彗星のごとく現れる』と絶賛される。一方で、「有名は無名には勝てない」との思いを次第に強くしていく。当時は華麗な観賞用の作品が流行し、生活用品は顧みられることのなかった時代。やがて寬次郎は、無名の作者による手仕事の美しさをあらためて評価する“用の美”を追求。柳宗悦や濱田庄司らと共に日常生活道具を「民藝」と名づけ、民藝運動を推し進めていった。寬次郎は書や随筆などを含む数多くの作品を残したが、文化勲章を辞退するなど、一人の陶工として生涯、作品と向き合ったという。娘の身上から教えを求めて寬次郎とつね(享年88歳・同教会扇京布教所3代所長)が結婚したのは大正9年。寬次郎30歳、つね19歳のときだった。13年、娘の須也子(享年88歳・同布教所教人)が生まれる。須也子の前に第1子を死産で亡くした寬次郎夫妻は、その後、次女を授かるも、わずか40日ほどで夭折。二人にとって須也子が元気に育つことが何よりの喜びだった。ところが、須也子が3歳のとき、急に食べ物を吐いてしまうように。このとき、つねは「なんとかたすけてもらいたい」という思いに駆られた。そんなつねに救いの手を差し伸べたのが、当時、河井家で花嫁修業をしていた女性だった。彼女の嫁ぎ先の隣家に扇京布教所があり、話を聞いてみたらと勧められたのだ。娘のたすかりを一心に願ったつねは、忙しい合間を縫って布教所や本部神殿へ足を運び、教えを求めた。やがて須也子が食欲を取り戻し、元気になると、つねは信仰を心の拠り所としていく。朝は誰よりも早く起きて客人を迎え、「働くというのは、はたが楽になること」と口癖のように話していたという。須也子は、その後も身上を見せられることがあっても、つねの信仰を受け継ぎ、いつも明るく勇んで通った。孫たちも折々に祖母に導かれ「幼いころから折にふれて教えを伝えられてきた」と話すのは須也子の長女・章江さん(75歳・扇栄布教所長夫人)。祖母つねから「案じては案じの理を回る」(おさしづ明治21年6月)と言葉をかけられたという。章江さん、次女・荒川洋帆さん(72歳・同布教所教人)、同記念館学芸員の三女・鷺珠江さん(65歳・同布教所ようぼく)は、つねから修養科を勧められ、それぞれ志願した。こんなエピソードがある。洋帆さんは27歳のとき不眠症に悩まされ、須也子の勧めで教会長資格検定講習会(前期)を受講。親里での生活を通じて、ぐっすり眠れるようになったという。「祖母と母が教えを伝えてくれたおかげで、今では何か節があれば親神様に凭れることができるので、とてもありがたい」と話す。また、章江さんの長男の嫁・披紗代さん(49歳・同ようぼく)も、結婚直前の身上を機に章江さんと共に修養科を志願。神様に心をつなぐことの大切さを学び、修了後は自宅で毎日おつとめを勤めている。◇同記念館は、館長の敏孝さんをはじめ、河井家一家で運営し、年に2回は一家総出で大掃除をする。寬次郎の残した作品をひと目見ようと訪れる人たちに、心地よく過ごしてもらえるよう、つねの思いを皆で受け継いでいるのだ。寬次郎の作品は時代を超えて影響を与えている敏孝さんをはじめ河井家一家は、こう話す。「身上・事情を通じて、親神様は私たち家族に信仰の大切さを教えてくださったと思う。祖母が蒔いてくれた信仰の種が、今の私たちの人生の指針になっている。寬次郎が残した作品や言葉、そして家族を下支えする手本のような存在だったつねの信仰姿勢や日常の心づかいを、これからも後世の人々に伝えていきたい」文=杉田祥太郎写真=山本暢宏コラム – 河井寬次郎島根県安来市生まれ。東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科で学び、卒業後は京都市立陶磁器試験場で釉薬の調合などについて研究。5代清水六兵衛の窯を譲り受け、大正9年、自家製陶を開始。15年、柳宗悦らと共に「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、民藝運動を推進。昭和12年、現在の河井寬次郎記念館である仕事場兼自宅を新築し、晩年まで創作活動を行った。享年76歳。, 【時報歌壇(11月23日号)- 植田珠實 選】海色のスニーカー買う僕たちの小樽で遊ぶ約束のため北海道 堀善道十五夜に近所を回る子らのいてお芋とお菓子を庭に供える熊野市 福山久美子入院の夫の付き添い許されぬ最期も会えずコロナに負けて鳥取市 西村節子ありがとう八十八年導かれこの道ありて楽しき旅よ川崎市 木村道治戦争を知らない時代に生かされる核無き世界と願いを込めて所沢市 三上理恵子コロナ禍よいつまで続くかなわんよ、マスク外して叫びたくなる京都市 寺澤幸子黄昏て星の港に風そよぎ秋の夜長に綴る抒情詩福岡市 山口巳津夫赤ダリヤをそっと撫でれば「もっと燃えて生きてごらん」と言われたような宇佐市 三好秋美いつの日か人に寄り添う温む歌詠めるような私になろう福山市 藤井光子けふより六日不在の妻を寂しみて一日雑炊の鍋ひとつ煮る秋田県 鎌田正男幼児に戻りてつつがなき母はめでたく卒寿の日々を過ごせり横浜市 及川秀代耳鳴りを蝉かと思い見る山にはやくも柞紅葉している石川県 岩城康徳金柑の青きつぶら実つつきゐる番のメジロは“二羽ゐて一羽”高槻市 石田たまの深秋をスマホの動画に耳当ててひとりで笑う夜は更けゆき狭山市 平本トミ子稲刈りの農機具の口パクパクと稲をたいらげ夕陽落ちゆくふじみ野市 酒井笑子選者詠 – 中和大教会四代会長植田平一先生へ賜りしあまたの教へおもひつつ偲びてやまず冬日のなかを【評】堀さんロマンチックな北からの一首。福山さん満月の光の中の童話のようです。西村さんコロナ禍に、病院、施設での面会が制限され、悲しい思いをされた方も多かったことでしょう。木村さん生き来た人生を「楽しき旅」だったと。幸せです。次回は、12月5日までの到着分から選歌。投稿は新年に関する短歌3首まで。お名前(ふりがな)、電話番号、住所を付記のうえ、下記までお送りください。〒632‐8686 天理郵便局私書箱30号「時報歌壇」係Eメール[email protected]