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この経験にもきっと意味がある – わたしのクローバー


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「全然いきいきしてないのに……」

エッセイの連載依頼があったと伝えたとき、高校生の次女がつぶやいた言葉です。“ダメ出し”されたのは残念でしたが、いつの間にか、親を一人の大人として対等に見られるようになったのだと、娘の成長を少しうれしく思いました。

子育てに追われる日々

思えば、この子がまだ小さかったころ、私は子育てに行き詰まっていました。夫は仕事で忙しく、実家も遠く、夫の家族も相次いで海外勤務となり、私の子育ては、いまで言う「ワンオペ育児」そのものでした。

ベビーカーの後ろに長女が乗るステップを付け、全力で押しながら歩いた日々。3人乗り自転車を、バランスを取りながら必死でこいだ日々。おんぶひもで背負って寝かしつけながら、ご飯の支度や片づけに追われた日々。いずれも、若くて体力があったからこそできたことですが、そのときの私は、「いきいき」どころか笑顔もなかったと思います。

イラスト・ふじたゆい

子育てのさなかは、また自分自身と向き合う時間でもありました。世間では「女性の活躍」が叫ばれ、働く母親がクローズアップされるなか、ただ子育てに追われるだけの生活は、何かしら物足りなく、社会での役割をなくした喪失感と、世の中から取り残されたような孤独感にたびたび襲われました。

慢性的な睡眠不足から些細なことでイライラし、虐待のニュースを目にするたびに、「私だって一歩間違えば… …」と、他人事とは思えませんでした。自分だけうまくいっていないような気がして、誰にも悩みを話せず、「普通に子育てができている人は、本当にすごいな」と、うらやましく思っていました。

そんな私に、先輩ママたちは「いまが一番いい時よ」と、笑顔で声をかけてくれました。「本当かな。少しでも早く大きくなってくれたらいいのに」と内心つぶやきながら、そんな日を待ち遠しく思っていました。

子育てが一段落したいま、あのときかけてもらった言葉の意味がよく分かります。みんな多かれ少なかれ、私と同じような経験をしていたに違いないのです。だからこそ、そこに笑顔はなくても、必死で取り組んでいる姿はきっと懐かしく、微笑ましく映ったのでしょう。いま、そんな若いお母さんの姿を見ては、昔の自分を振り返って、「頑張って!」と心のなかで声をかけています。

コロナの後遺症とともに

原稿を書いているいま、私は新型コロナウイルス感染症の後遺症で、微熱とともに、頭にモヤがかかったような感じが続いています。

いままで当たり前にできていたことが、できなくなったことへの戸惑い、周りの人たちに迷惑をかけてしまう申し訳なさ、いろんな思いを抱えて、やはり「いきいき」とは程遠い毎日を過ごしています。

その一方で、この経験にもきっと意味があり、いまはこの気持ちをしっかり味わうことが大切だと、どこか遠くから冷静に眺めている“もう一人の自分”もいます。人の優しさにふれて温かい気持ちになり、今度は自分が、誰かの力になりたいと思えるようにもなりました。

人は生きていくなかで、さまざまな予期せぬ出来事に出くわします。そして、当たり前の生活を当たり前に続けていくのは案外、難しいことなのだと気づくのでしょう。

「いきいき」できないときは、無理に笑顔をつくるのではなく、その時期、そこでしか得られない経験や気持ちをしっかり味わうこと。いつかきっと、それが役に立つ。自分の弱さや限界と向き合うことで人に優しくなれるし、人間理解も深まって、より豊かな生き方につながっていくと信じています。

この連載を通して「少しは“いきいき”してきたね」と、いつか娘に言ってもらえたら……。いま、そう密かに願っている私です。


三濱かずゑ(臨床心理士・天理ファミリーネットワーク幹事)
1975年生まれ