タイパを超える濃密な価値 – 視点
平成が「コスパ」なら、令和は「タイパ」の時代、らしい。
コスパは、コストパフォーマンスの略で「費用対効果」。片やタイパは、タイムパフォーマンスの略で、「かけた時間に対する満足度」をはかる若者世代の流行語だ。
近代以降、費用と時間は経済効率のものさしだった。21世紀に入ると効率志向に一層拍車がかかり、ICT(情報通信技術)の飛躍的進歩に伴い、経済価値もさることながら、時間価値を重視する風潮はとみに高まっている。
殊にデジタル世代を中心に、ネットの動画や音楽配信をスマホで「倍速視聴」したり、コンテンツの切り抜きやスキップをしたりするなど、日常の「すきま時間」を有効活用する人が増えた。こうした傾向はいまや世代を超え、食事や家事や学習などの時短を目指す消費行動が広がっており、「トキ消費」や「時間資本主義」なる言葉も目にする。
現代人は忙しい。世界は激動し、社会は混迷の度を深めている。日々押し寄せる情報量は膨大で、しかも多様。しかし、1日24時間は変わらない。ならば、効率良く数多くのタスクをこなす工夫が必要……という理屈は分かる。
ところが、いち早く手軽にという 情報のつまみ食い が、人生を豊かにするかといえば疑問が残る。より多くのものをより早く消費し、より良い選択肢を増やそうとすればするほど、どの選択肢が正しいかを吟味する時間が無くなる。結果、かえって効率の低下を招く。
お道にも時間の概念がある。「三日三夜」や「三年千日」などの言葉に代表されるように、時を仕切ってご守護を祈念したり、時が区切られた旬や節を成人の契機としたりする。いわば、塊の時間に意識と行動を集中することで、数値的効率を超えた、濃密な価値を味わうということだろう。信仰人生における節目の歩みは「三年経てば、偉い事に成るのやで」(おさしづ明治22年11月7日)と励まされる。
春季大祭の日、その親心に思いを致したい。
(松本)