その道は、通じている。- 成人へのビジョン10
昨年末、映画『THE FIRST SLAM DUNK』が公開されました。原作に当たる漫画『SLAM DUNK』(井上雄彦著)は、高校バスケットボールを題材に選手たちの人間的成長を描いたもので、国内発行部数1億2000万部に上り、多くの人々に愛される作品です。
天理大学で英語を学んでいたときのこと、私はある先生から次のように言われました。「君はどうして英語を専攻しているの?」「そうですね。一番は世界で通用する言語だからです。それと、英米学科は他の学科と比べて学生数が多くていいなと思いました。それに……女子の割合も多かったからです」。私は正直に答えました。
先生はそうかと笑い、こう言いました。「スラムダンクって漫画知ってる? 主人公の桜木花道は、バスケットの魅力に夢中になるけど、最初はそうじゃないんだ。ただ、好きな女の子を振り向かせたくてバスケットを始めたんだ。モテるため、だな。それが次第にバスケット自体の魅力にはまっていく。だから、入り口はなんでもいいんだよ」
周囲の友人が次第に真剣に英語と向き合うなか、熱量を共有できずに取り残されていた私は、この言葉を聞いて気持ちが楽になりました。
桜木花道がバスケットを始めたのはヒロインの晴子にモテたかったから。それが名作のスタート。いわば「不純な動機」です。その不純が、一生懸命に取り組むうちに純粋へと昇華されていく。それが“なんかいい感じ”なのです。
私は不純という清濁併さる定まらないさまに、可能性を感じます。立派な動機だけが良いとは限らない。親が信仰している、好きな人が天理教だった、YouTuberの動画を見て、事業を成功させたくて、社長が天理教だったから――どれも素晴らしいきっかけです。神様の道は大道無門です。大きな道に門がないのと同じように、信仰の入り口は決まっていません。
「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』108「登る道は幾筋も」)
純粋になれない自分を嘆くことも、恥じることもありません。どの道筋から見える景色も、当人にとってかけがえのないものなのです。
可児義孝